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学習と実践 ともしび茶屋
(みんなで発展した!)
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| あなたは、「みんなで発展した!の部屋」の 『神の愛と、エゴ版の愛』 という話題のテーブルにやってきたよ! | ||||
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バーテンダー
この部屋では、こんなお話がされているようです。 |
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神の愛と、エゴ版の愛
08/9/15
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条件つきの愛とは
08/9/15
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実在するのは、すべてを含むたった一つの完全な愛
08/9/15
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ずっと愛されてた
08/9/22
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「愛の自覚を妨げるもの」とは
08/9/26
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人を赦したやり方で自分自身も赦せる
08/9/27
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聖霊という唯一の答え
08/11/21
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聖霊の声に耳を傾けること
08/11/24
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神様やさしすぎ!
08/11/28
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雲を突き抜けて☆
08/11/28
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みんなで発展した!: 神の愛と、エゴ版の愛 08/9/15 今日は、「神の愛」 と 「エゴ版の愛」 の違いについて、 お話してみましょうか。 この二つは、まったくの別物で、 前者は、全員を一つの生命として無条件に愛し、 後者は、生命を全体から区別し、切り分けます。 同じ「愛」という名前でも、そもそもその目的と働きが、 まったく正反対なのですじゃよ。 「無条件の愛」 と、「条件つきの愛」 でしゅね。 で、この世界では、「条件つきの愛」が、常識的に愛だと信じられている でしゅよね。 親子の間の愛にしても、夫婦や恋人の間の愛にしても、友人の間の愛にしても、 とにかく、「特定の人(条件)だから愛する」 という、条件つきの愛でしゅ。 これは、恐れと悲劇を生むでしゅよね。 (エゴにとっては喜劇?) とにかく、特定の条件を満たしていないと、愛さないのでしゅ。 だから、愛されるために無意味に苦労したり、自分を別人に変えようとしたり、 人を別人に変えようとしたり、そんなことをするのは、恐れているからでしゅ。 また、自分も人が特定の条件を満たしているときだけ愛そうとするから、 自分もそうされるに違いない、と思い込むのでしゅよね。 これまた、恐れと強迫以外の何ものでもないでしゅね。 「条件つきの愛」は、びっくりするほど安心と信頼がないでしゅ。 こんなものが、世間では「愛」だと信じられて、愛憎ドラマが繰り広げられ ているのでしゅから…、いやはや、勘違いもはなはだしいでしゅよね! 本当に「愛」が理解されたら、チープな愛憎ドラマも 恋愛ドラマもなくなるでしょうね。 なぜなら、全員が無条件で愛されているから ![]() 愛されなくなることは不可能だから。 この意味は、深いですじゃよ。 言ってみれば、全員が全員と家族であり、結婚しているのですじゃよ。 誰が誰などと、立場や条件によって区分けされません。 これが本当に信じられたとき、 はたして恐れなど、ひとかけらでも存在できるのでしょうか…? 本当の愛には、決して、ひとかけらさえも、恐れや疑念の入り込む余地は ないでしゅよね! 本当の愛がきっちりと理解されたら、この世にすべての恐れはなくなる でしゅよ。 誰一人として、恐れを抱く人はいなくなるでしゅ。 だって、その必要がないんだもん。 そのためにも、まず各人「自分自身が」本当の愛を理解することから 始めなくちゃ、何も始まらないんだけどね。 ボクの世界では、ボク自身から☆ でも、「身体」が唯一の実在で、身体が生命だと少しでも勘違いしている うちは、これがまた、なかなか理解しにくいのでしゅよねぇ。 うんうん。 身体が生命のわけがないでしゅよね〜。 ちょっと考えてみれば、わかることでしゅ。 だって、神は永遠に続く、完璧な愛しか創造しなかった のでしょ。 だから、無条件の愛でしょ。 それなのに、もし身体が生命なのだとしたら、矛盾するでしゅよ? 身体は、あっさり壊れて、消えてなくなるでしゅ。 みんな、うぇ〜ん、うぇ〜ん、悲しいよ〜って、泣くでしゅ。 そんなものが、神の愛? …こういうふうに、きちんと考える人があまりにも少ないのは、 やはり形ある世界ばかり見続けてきてしまったからなのでしょうね。 ボクも含めてだけど。 本当に信頼と安心の中で暮らしたいと願うなら、 どうしたって完璧な神の愛の実在を確信しなくては無理でしゅよね。 不完全とか、罪とか、失敗とか、病とか、死とか、別離とか、 そんなものが実在すると 認めたがっている うちは、 本当の平安「天国」は無理無理〜って感じ。 奇跡のコース(ACIM)愛は一つである。 Love is one. それには別々の部分などないし、度合いもない、 種類もなければ段階もない、相違もなければ区別もない。 It has no separate parts and no degrees; no kinds nor levels, no divergencies and no distinctions. 愛は愛そのもので、終始一貫、変わることはない。 It is like itself, unchanged throughout. 決して、人や状況に応じて変わることもない。 It never alters with a person or a circumstance. それは神の心であり、御子の心そのものでもある。 It is the Heart of God, and also of His Son. ここでは、こんな豊かなお話をしてまいりますじゃよ♪ ともしび茶屋に参加できる方は、どしどし参加して、あなたの愛と光を わかちあってくださいね。 (「ACIM」か「神の使者」のどちらかをご既読ならご参加いただけます) エゴによる愛のうそを解き、本当の愛を真実のものとするためのお話や、 体験談や、本からの引用など、大・大歓迎です☆ 本当の愛を、平安を、世界にわかちあってまいりましょう
『神の愛と、エゴ版の愛』――お話ありがとう♡
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みんなで発展した!:
神の愛と、エゴ版の愛
まずは、世間一般的に「愛」だと信じられている 「条件つきの愛(エゴ版の愛)」の方から観察してまいりましょう。 奇跡のコース(ACIM)おそらくあなたは、異なった種類の愛が可能だと思っている。 Perhaps you think that different kinds of love are possible. おそらくあなたは、これにはこの種の愛、あれにはあの種の愛と、 一つのものに対する愛し方があれば、他のものにはもう一つ別の 愛し方があると思っている。 Perhaps you think there is a kind of love for this, a kind for that; a way of loving one, another way of loving still another. まあ、そーでしゅよね〜。 そうでなければ、特定の人だけ特別扱いにしようとしたりする、 この世界の数々の慣習の説明がつかないでしゅよ。 愛に「区分け」を設けているでしゅよ。 この「区分け」することこそが、自分自身をも愛から「区分け」する 恐れの原因なのだとも気づかずに…。 奇跡のコース(ACIM)愛は変化しえると考える人は誰でも、愛の意味が不明瞭になる。 Love's meaning is obscure to anyone who thinks that love can change. その人は、変化する愛は不可能に違いないとは見ていない。 He does not see that changing love must be impossible. だから、愛せるときもあれば、憎めるときもあると考えている。 And thus he thinks that he can love at times, and hate at other times. また、特定の人に愛を与えることはできるが、 その他の人たちには差し控えても、愛はそのままだとも考えている。 He also thinks that love can be bestowed on one, and yet remain itself although it is withheld from others. 愛をこんなものだと信じているなら、愛を理解してはいない。 To believe these things of love is not to understand it. もし愛にそんな区別ができるのなら、それは 正しい人と罪人に分けて善し悪しを決めて、 神の一人子を別々の部分として知覚せずにはいられないだろう。 If it could make such distinctions, it would have to judge between the righteous and the sinner, and perceive the Son of God in separate parts. 本来「一つ」であるボクたちを、わざわざ区別することになるのでしゅね。 愛に区別をつけることは。 まさに、分離を推進することしか念頭にないエゴの業でしゅね〜。 「審き」というのは、無意識の分離欲求以外の何ものでもないでしゅよね。 奇跡のコース(ACIM)愛は審きを下すことはできない。 Love cannot judge. 愛そのものが一つなので、すべてを一つものとして見ている。 As it is one itself, it looks on all as one. 愛は、決して審かない! これはほんと、うれしいでしゅね〜♪ 「審く」とは、神の一人子をあたかも別々の存在のように見なすことだから、 愛がそんなことできるわけないでしゅよね。 愛は、一つのものを、ずっと一つのままとして見ているのでしゅね☆ あ〜、聖霊の思考法と同じでしゅね〜。 「審く」という誤った思考法を採用してしまったわたしたちを解放するのが、 「赦し」ですじゃね。 「審き」さえ採用しなければ、本当は「赦し」も必要ありませんでした。 しかし、わたしたちは「審き」がありえると信じてしまった… だから、その誤った思考法を訂正しなくては、ありのままで存在する天国を 知覚できないのですじゃね。 うん。 平気で審けるなら、それは、「その罪人は自分とは関係ない別人だ」 と勘違いしているからでしゅよね。 実際には、自分自身の無意識の中にある心像の一人で、自分自身なんだけど。 こうして、エゴの思惑通り、自己攻撃の輪がグルグルと回り、 エゴのエネルギー源ともいえる「憎悪」が温存されるわけでしゅね。 こうした憎悪の温存を図るためのエゴのトリックの一つが、 愛に区別や相違をつける…「条件つきの愛」なのでしゅね。 奇跡のコース(ACIM)愛は、相反するものを伴わない法則。 Love is a law without an opposite. その全体性が、すべてを一つに保っている力であり、 父と子を永遠に同じものとして保つ絆である。 Its wholeness is the power holding everything as one, the link between the Father and the Son which holds Them Both forever as the same. 愛は、相反するものを伴わない法則! 要するに、全生命・全存在に対して、完全に無条件 ![]() この愛の本当の意味を理解して「愛」という言葉を使っている人って、 どのくらいいるんだろうね…? 『条件つきの愛とは』――お話ありがとう♡
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みんなで発展した!:
神の愛と、エゴ版の愛
では、憎悪を温存することを目的としたエゴの擬似愛ではなく、 「本物の愛」とは、何なのでしょうか…? 本物の愛は、一つだけでしゅよね? はい。 何事にせよ、複数存在するというのは、すべて偽り。 真実は、たった一つのみ。 まったく分離はありえません。 まったく不完全はありえません。 まったく悲しみも苦痛も病も死も変化もありえません。 存在するのは、永遠に完全な一体のみ。 そこには、相対ではない、絶対的な変わらぬ幸福感しかありえません。 そのことを、「神」と呼んでいるのでしゅよね。 神って、決して人格とかじゃないでしゅよね。 ましてや、白いローブを着た老人とか、金色に輝く女神でもなく(笑) 神って、「永遠に全体そのものの一体」のことでしゅよね。 ボクたち全員を含んだ…。 その「一体」を、ありのままに一つのものとしてつなぐ意志、 それが「愛」ですじゃね♪ 奇跡のコース(ACIM)その全体性が、すべてを一つに保っている力であり、 父と子を永遠に同じものとして保つ絆である。 Its wholeness is the power holding everything as one, the link between the Father and the Son which holds Them Both forever as the same. ですから、愛とは、「神の愛」を除いて他に愛はありえません。 部分部分だけをつなぐ、個別化した愛などありません。 奇跡のコース(ACIM)神の愛を除いて他に愛はない。 There is no love but God's. だからこそ、安心できるのですじゃよ。 これなら、誰一人として、どんなときでも、永久に愛に欠乏することは 不可能でしょう? 愛だと勘違いしていた「条件つきの愛」など、 最初から愛ではなかったのですから。 誰もが公平に、無条件で、たった一つしかない本当の愛「神の愛」に 包まれています。 誰一人として、どんなときでも、どんな状況でも、 神から愛されないことは不可能。 愛からはみ出すことも不可能。 こうしている今も、たとえ神の愛を拒んでいる人さえも、 どれほど神に愛されていることか… ![]() ちゃんと理解すれば、恐れが発生することは不可能ですじゃ。 神は愛であり、愛は神。 愛は一つのみ。 完全に統一され、区別・分割・変化・喪失などが入り込む余地はありません。 それが、たった一つに結ばれた「愛」というもの。 つまり、ボク自身だって、誰だって、一人残らず、 その神の愛の一部なのでしゅよね! で、単なる一部ではなく、完全に「一つ」しかないから、 自分自身が神の愛そのものでもある、と! 奇跡のコース(ACIM)愛の意味は、あなた自身のものであり、 神自身によって、それを分かち合われている。 Love's meaning is your own, and shared by God Himself. あなたが何者なのかは、神が何者であるかということであるから。 For what you are is what He is. 神の愛を除いて他に愛はない、神が何者か、それがすべて。 There is no love but His, and what He is, is everything there is. 神自身には何の制限もないので、あなたも同様に、何の制限もない。 There is no limit placed upon Himself, and so are you unlimited as well. これって、ものすごいことでしゅよね〜! ほんと、何でも境界と制限によって支配されたこの物質世界の考え方では、 連想することすら不可能な自由さでしゅ…! まったくの正反対! 本当の愛、つまり「本当の自分」を知りたいでしゅ…。 なんで、ボクたちは、それをなかなか知ることができないのか、 何がその邪魔をしてるんだろう…? 『実在するのは、すべてを含むたった一つの完全な愛』――お話ありがとう♡
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みんなで発展した!:
神の愛と、エゴ版の愛
これが気に入って何度も読んでいます。 この世の言葉では足りないくらいの温かい感動がじわじわきます。 こんなに愛されてる。 「神の使者」「ACIM」に出会う前に読んでいた成功系の本を読み返してみました。 エゴ的発想だなと思う部分もありますが、神の愛や分離していないことを知って読むと深く感動できる部分もたくさんあることに気づきました。 自分の理解できる範囲でしか読めないっていうことですね。 今までも、いつもいつも、目覚めるためのメッセージを送っていてくれたんだなと改めて思うと、ジーンとしました
『ずっと愛されてた』――お話ありがとう♡
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みんなで発展した!:
神の愛と、エゴ版の愛
何が、「本当の愛」を自覚する邪魔をしているのでしょうか…? 本当の愛は、自分自身そのものであって、1ミリも離れていないのに…? そうなのでしゅよね。 その「本当の愛」さえ自覚できれば、誰だって恐れないでしゅよ。 何も欠乏していないって、わかっているのだから。 これこそが、「奇跡のコース」のテーマですじゃよね。 コースは、愛を教えることを目的とはしていません。 愛は、知覚の範疇の外にあるものだから、教えることは不可能なのですじゃよ。 ただ、愛の自覚を妨げているものを取り除くことはできます。 そして結果的に、みずから愛を自覚できるようになるでしょう。 その言葉は、コースの一番最初、序文に書いてあるでしゅよね。 では、「愛の自覚を妨げているもの」 とは、 何のことでしょうか? そうでしゅね… まず、「審くこと」 かな? 審くとは、「分離を信じている」という宣言だから。 すべてを一つに結びつける愛とは、正反対でしゅよね。 そして、ボクたちがなにげに引っかかっているエゴのトリック、 「条件つきの愛」も、じつは審きに根ざしているのでしゅよ。 だって、「特定の条件を満たしたとき(人)だけ愛してやる」 というのは、明らかに審いてる でしゅよね! よくぞ気づきました! 審く愛なんて…、言葉からして矛盾しているでしゅよね。 コースも、こう言ってるし。 奇跡のコース(ACIM)愛は審きを下すことはできない。 Love cannot judge. 愛そのものが一つなので、すべてを一つものとして見ている。 As it is one itself, it looks on all as one. つまり、「条件つきの愛」を愛だと信じている時点で、 「本当の愛」を自覚することは不可能なんじゃないかなあ? だって、ほら、 自分が審くなら、自分も同じように審かれても不思議はないと 思えるでしゅよ。 それって、怖くない? 「無条件で愛されるとは限らない」って言っているのと 同じなんだから。 不安があるのに、自分自身を「本当の愛」だなんて、 誰が思えるんだろう…? 『「愛の自覚を妨げるもの」とは』――お話ありがとう♡
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みんなで発展した!:
神の愛と、エゴ版の愛
とてもよいところに気づきましたね! 人を審くなら、自分も同じやり方で審かれるでしょう。 (正確には、自分で自分を審いているだけなのですが) 実際に、この世界で審きを行っていない人など、 皆無といってもよいです。 だから、不安なのですじゃよ。 審くことによって、自分も愛されないに違いない、 と固く信じることになりますから。 人に与えたものが、自分自身が受け取るものですじゃ。 人を審けば、必ず自分自身を同じやり方で審くことになります。 だから、本当の愛「無条件の愛そのものである自分自身」を 自覚できないのでしゅね。 「審き」が愛の自覚を妨げているわけでしゅ。 そうですじゃね。 奇跡のコース(ACIM)わたしたちの真の自己を知ろうとすれば、 自分たちの一部をわたしたちの愛の外側に残すことはできない。 we cannot leave a part of us outside our love if we would know our Self. たったの一人さえ、愛から除外されていません。 それなのに自分勝手に、栄光ある神の御子を愛から除外したいと 願うなら、それはまったく正気の沙汰ではありません。 ありのままの真実だけを映す「神の透き通った鏡」ではなく、 「エゴの歪んだ暗い鏡」でその人を見ている証拠。 そうすれば当然、自分自身のことも、エゴの歪んだ暗い鏡で 見ることになるのは必然というものではないでしょうか? なるほど! ああ〜ん、ほんと、すべての人を区別したくないものでしゅ。 すぐに表面的なことで判断したがるクセを直したいでしゅ。 表面的に見えることって、すべて「エゴの証人」でしゅから、 エゴにとって都合のいい、エゴの理論を証明しようとすることしか 言わないのでしゅよ…。 表面的に見えることは、すべて幻ですじゃね。 エゴとしての自己が、「こう見たい」と望んだことが、 そこに錯覚として見えているだけ。 自分自身が、「そこに罪が見えるに違いない」と望んだから、 望みどおり錯覚が見えたにすぎません。 そうでしゅよね。 「そこに罪が見えるに違いない」と思ってしまうのは、 自分自身に罪があると信じているから。 まさに、人を審くから、自分自身をも審いてしまうのでしゅ。 では、どうしたら、 審きの悪循環から抜け出せるのでしょうか…? もちろん、「赦し」 でしゅよね! どこにも罪はない、自分にも罪はない、 表面的に見えることはすべて幻で、どれもこれも一度も起きていない、 と認識して、一度も起きていないことを赦すことでしゅ。 起きたことを赦すのではないでしゅよ。 「一度も起こっていない」から、自分の勝手な妄想を赦すのでしゅ。 そうですじゃね♪ その調子で、この世界のすべてを赦してまいりましょう。 赦せば赦すほど、自分自身も赦されます。 「人を赦した同じやり方で自分自身も赦される」、ということを 覚えておきましょう。 「人に与えたものが、自分自身の受け取るもの」 だもんね! 赦しの先に、真の自己「無条件の愛」が待っています。 あなたが真の自分を自覚してくれるのを、今か今かと…☆ もし、どうしても誰かを審きたい欲求に駆られたら、 真のあなたからの、この「伝言」を、その人に心で伝えてください。 真のあなたは、虚偽は見えない… 真実しか見えないのですから。 (真のあなたからの伝言)きょうだいよ、 あなたと分かち合っている神の愛で、あなたを祝福します。 I bless you, brother, with the Love of God, which I would share with you. わたしは、神と、あなたと、自分と、みんなの愛を除いて 他に愛はないという、喜ばしいレッスンを習得しようと、 決意しているのですから。 For I would learn the joyous lesson that there is no love but God's and yours and mine and everyone's. Workbook lesson 127 『人を赦したやり方で自分自身も赦せる』――お話ありがとう♡
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みんなで発展した!:
神の愛と、エゴ版の愛
ここの話題は、 神の愛は、すべてを包む。(無条件の愛) エゴ版の愛は、限定する。(条件つきの愛) ――この二つを対比して、 本物の愛とはいかに大きいものかを理解するためのお話でした。 うん。 エゴは、愛という真実を象徴するものにさえ「審き」を密かに混入して、 恐れと憎悪を温存しているのでしゅよね! これは、ほんとうに巧妙なトリックでしゅね〜。 正直言って、この世界では、このことに気づいている人って、 ものすっっっごく少ないでしゅよ。 この世界では、愛の名のもとに「審き」を混入して、 自他ともに苦痛を体験せざるをえないような「条件つきの愛」しか 一般的に愛として知らせていないのでしゅから…。 また、「相手の幸せを願うのが“愛”」とか神妙な顔して言うのも、 じつは巧妙なトリックが含まれているのでしゅよ。 なぜなら、一歩間違えば自分自身をおろそかにする犠牲推奨、 「犠牲愛」になりかねないからでしゅ。 犠牲愛というのは、無意識の自己処罰願望以外の何ものでもないからね。 自分自身の悲劇っぷりに陶酔しているだけなのでしゅよ。 本当の愛は、相手も自分も、妥協も駆け引きもありえない。 そして、そんな愛は、身体としての個別化を信じている限り、 この世界では不可能でしゅ。 というか、本当の愛は、完全な一体である世界(天国)を除いては、 絶対に実現不可能なのだけどね。 だから、物質世界に執着して留まり続けても、 永久に本当の愛なんて体験できないのでしゅよ。 ただ、この世界では本当の愛は体験できないけれど、 知覚の仕方を正常化することで、それに近いところまで行くことは できるのでしゅね。 そして、その天国に限りなく近い知覚からなら、 本当の愛のみがある知識(天国)に移行することも可能だと☆ ボクがこの偽りの愛の仕組みについて はじめて知ったのは、「奇跡のコース」と 同じ声が語った本、「無条件の愛」から なのでしゅけどね。 「無条件の愛」は、本当に衝撃的だったでしゅ…! この本が、コースと出会う最大のきっかけと なったのでしゅから☆ 「無条件の愛」を読んでから、 コース関連の本で日本語化されているものは 全部取り寄せて読んだでしゅよ。 そして、そのうちの1冊、「神の使者」で、 とてつもなく感銘を受けて、とうとう「コース本書」を 本格的に学び始めたのでしゅね♪ 思えば、コースの存在を知ってから、 ちょこちょことは学んでいたけれど、 本書を学ぶまでには、2〜3年以上 経っているのでしゅね…。 ![]() 神の愛が、どのくらい大きくて、すべてを包み込み、 決して審かないものか、そんなお話をこれからしたいと思います♪ 「神の愛は、エゴも審かない」 ということを知ってほしいからですじゃ。 うん。 エゴは審くべきものじゃなくて、 赦すべきもの でしゅよね☆ だって、エゴって自分自身の心の側面なんだから。 わたしたちが、何度もこのばかげた世界にやって来ざるを得ないのは、 単に自分自身が「ここにいるしかない」と信じているからですじゃ。 自分以外は誰一人としてそんなことは強制していませんし、 むしろできません。 奇跡のコース(ACIM)あなたがありえない状況の中にいるのは、 ただ自分でその中にいることができると思うからにすぎない。 You are in an impossible situation only because you think it is possible to be in one. ただ自分のみが、ここに留めている… 正確には、「分離を信じる自分の信念(エゴ)が」、でしゅね。 はい。 神は、決してエゴを強制的に消すことはしません。 なぜでしょうか? それは、エゴを悪だと決めつけて消すことは、 「審き」に他ならないからですじゃよ。 そんなものは、「攻撃」と何ら変わりません。 神は、決して攻撃しません。 平安のうちにあるものは誰であれ、決して攻撃などしないし、 そんなことを思いつくことすらありません。 攻撃とか審きとかができるのは、 自分自身が平安ではない者だけでしゅよね。 攻撃対象とは、平安ではない自分自身の影にすぎないのだから。 目覚めている者は、投影なんてするわけがない… だって、投影というのは、「眠って夢を見ている」ということなのだから。 また、神は決して「教える」ということもしません。 なぜでしょうか? 「教える」ということは、その相手に不足するものがあるという意味を 含んでおり、神はそんなことはないとわかっているから。 わたしたち神の子は、神と同様に完全ですじゃ。 本来はね。 また、「教える」とは、相手を変えさせることを目指しますが、 神は永遠に変わらないものだけを創造しました。 わたしたち神の子は、神と同様に変化しません。 本来はね。 だから、神は「教える」ということはしないのでしゅね! 絶対にありえませんが、もしも神がわたしたちのエゴが間違っていると言って、 エゴを神の真理に直面させるようなことがあれば、まちがいなくわたしたちは 恐れと罪の意識で泣き崩れるか、逃げ出してしまうことでしょうね。 愛でしかない神が、そんな愛らしくない真似をするでしょうか? うん、絶対にありえないでしゅね〜。 奇跡のコース(ACIM)神は自分が創造したものは完全だと知っているので、 それらを侮辱するようなことはしない。 God, Who knows that His creations are perfect, does not affront them. あなたは、自分が罪を犯したなどと、神に教えてもらいたいだろうか? Would you have God teach you that you have sinned? もしも神があなたの作った自己を、神があなたのために 創造した真理に突きつけるような真似をしたなら、 あなたはただ恐れを抱くだけなのではないだろうか? If He confronted the self you made with the truth He created for you, what could you be but afraid? 神は、エゴなど見えないとはいえ、 それを審かないし、攻撃もしません。 何一つとして問い詰めることもなく、ただ単純に優しく、 わたしたちに「答え」だけを贈ってくれました。 その「答え」とは、何のことでしょうか? 神の贈ってくれた答え… 神の代わりになる答え… となると、あれしかないでしゅよね! 「聖霊」! そうですじゃね☆ ですから、わたしたちは、答えは心の正気な部分に求めることで、 最初からすべて与えられていますじゃよ♪ まったく恐れも罪悪感も抱くことなく、わたしたちはエゴを赦すことが できますじゃ。 すべては、聖霊のみをわが師とすることで。 奇跡のコース(ACIM)神は、単に答えを贈ってくれた。 He merely gave the Answer. 神の答えとは、あなたの師そのものだ。 His Answer is your Teacher. Text 6 - 4
『聖霊という唯一の答え』――お話ありがとう♡
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みんなで発展した!:
神の愛と、エゴ版の愛
![]() ものごっつい神の愛を感じるでしゅね…☆ ほんとうに、何一つとして審かないのでしゅね、神って。 完全無欠の愛でしゅ! この神の本当の姿勢をみんなが知ったら、 正義の名の下に他者を打ち滅ぼそうとする人など、 一人もいなくなるだろうに…。 その「みんな」というのも、自分自身が何を信じているのか?―― その投影なのですけどね。 だから、もし他人を変えたいなら、自分自身の心を変えるしかない のですじゃよ。 自分自身が、「みんな」を完全無辜な神の子として見るようになる、 ということ。 そのためには、まず 「自分自身が完全無辜な神の子だ」 と、 悟らなければね。 あなたの信じていることと視野さえ変われば、 あなたの投影している世界は変わらざるを得ないのですから。 うんうん。 やっぱり変えるべきは、自分自身なのでしゅね〜。 赦すべきは、自分自身なのでしゅ。 神は、わたしたちを直接教えることはありません。 そんなことはできない… なぜなら、 神がもしボクたちに教えるなら、神みずからが神の子は「不完全だ」と 言っているようなもので、そんなことは決してないとわかっているから でしゅよね! よく理解してくれてありがとう ![]() 神は、自分が創造したものに不完全なものはないとわかってる… 不完全など信じていない… だから、最初からそんなものはまったく見えていません。 だって、本当に不完全なものなど、どこにも実在していないのですから。 完全なる神の子は、みずから目覚めることができると知っている… というか、明らか極まりなし。 神が贈ってくれた聖霊って、結局のところ、ボクたち自身だもんね。 ボクたち自身の中にあるもの。 心の正気な部分ですじゃね。 まったく錯覚も恐れも信じていない、安らぎに満ちた部分。 だからこそ、「聖霊だけをあなたのお師匠としなさい」 と、 コースは言うのでしゅね! そうすれば、まったく罪も錯覚も恐れも信じることなく、 神のもとに帰れるわけでしゅ☆ 聖霊の姿勢も、神の姿勢に準じていますじゃ。 聖霊は、決してあなたに「命令」しません。 命令するとは、「平等ではない(おたがいに分離している)」と 決めつけていることに他ならないから。 だから、エゴの声がわめくに任せていると、 決して聖霊の声は聞こえないのでしゅね。 聖霊は、無理にエゴを押しのけようとはしないから。 ボク自身がエゴの声を鎮めたときにのみ、 聖霊の声は聞こえるのでしゅね♪ 要するに、 分離を信じない 不完全を信じない 罪を信じない 錯覚(形や身体や時間などの象徴)を信じない 年齢も性別も病も死も信じない なにより恐れを信じない! すべては一体で完全無欠の純粋無垢だと信じる! ――ということだけど。 (むろん、象徴の世界に生きているボクたちは象徴を使って 学ぶしかないから、むやみに象徴を拒絶したりせずにね♪) あ〜もう、ほんとうに気持ちいいでしゅね♪ これを書いている瞬間も♪ 聖霊の安らぎを感じつつ書くのは、とても心地が良いでしゅよ ![]() ほえほえ。 聖霊は、「それらエゴが語る分離の産物など存在しないよ」ということを 実証しようと働いているのですから、分離を証明しようとする「命令」など するわけがないのですじゃよ。 そうでしゅよね。 もしそんなことをしたら、相反しているものね。 だから、エゴの声を鎮めて、心を静かに、安らかにして、 聖霊の声を受け取ってください。 そして、聖霊の安らぎの声のみを、世界にわかちあってください。 わたしたちは、自分自身がその態度や言葉で人々に伝えている通りに なるのですから。 自分で自分の信念を強化することになります。 奇跡のコース(ACIM)あなたは自分の教えていることそのままだ。 you teach you are. 恐れを伝えるのか… それとも、安心を伝えるのか… 伝えたものが、自分自身の姿なのでしゅね。 生きている限り、自分の姿を人々に見せないことは不可能なわけで、 教えないことは不可能なのですじゃよ。 毎瞬毎瞬、誰もが何かを教えています。 たとえ「だんまりを決め込む」という態度だって、その姿勢と信念を教え、 それをみずからが学んでいるのですじゃよ。 ですから、教えないということは、本当に不可能なのですじゃ。 毎瞬何かを教えるということから逃げることは不可能なのです。 心ある限り… そして、心は永遠に生き続けます。 幻想とはいえ、時間は無意味に使いたくないなって、 あらためて思ったでしゅよ。 無意味に使ってもかまわないけど、なんかばかみたいじゃん? ボクは、ゴールのためにのみ時間を使えたら嬉しいな♪ 『聖霊の声に耳を傾けること』――お話ありがとう♡
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みんなで発展した!:
神の愛と、エゴ版の愛
コースLesson69で感動したところを書きます。
厚い雲に隠されて光があるのに、雲しか見えないからそれが現実だと思ってしまうっていう話。 その雲の中を通って進みなさいっていう力強い言葉。 前回の続きで、不平不満が光を隠してるっていうレッスン。こうして毎日、絵本を読み聞かせてくれるように語り掛けてくれるコースの愛が大好きです。 「Go on; clouds cannot stop you」 かっこいい・・・ この後も力強い頼れる言葉が続きます。
おおおー。Salvation ![]()
神と一緒だから、何も怖くない! イエスさまが十字架にかけられたのも全然苦しくなかったっていうの、分かる気がします。 『神様やさしすぎ!』――お話ありがとう♡
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みんなで発展した!:
神の愛と、エゴ版の愛
ほこどの、ありがとうございます ![]() あなたの力は甚大です… 感動をわかちあえばわかちあうほど、 その感動は自分自身のものとなるのですから、 こうしてその感動にふさわしい話題に増し加えていただけると、 じいも嬉しいです☆ もうすでにともしび茶屋には、たいていの感動に合う話題(スレッド)を ご用意してありますから、「だいたいここがいいかな」と思えるところに、 厳密である必要はありませんので、どしどし増し加えてください☆ 「厚い雲」って、結局のところ、 自分自身が「投影」した錯覚のことなのでしゅよね。 で、自分自身が作ったものは、投影にせよ拡張にせよ、 自分にとっては実在以外の何ものでもないから、 その雲も実在だと信じちゃうのでしゅよね。 こうして、厚い雲から抜け出せない(と信じ込む)わけなんだけど、 実際には真実の拡張以外は錯覚に間違いないわけで、 本当は雲などないし、自分自身さえ雲に執着しないなら、 簡単に抜け出せるのでしゅよね☆ そういう解放の一歩となる大事なレッスンでしゅね! ここはボクも感動したでしゅよ。 自我によるこざかしい錯覚とは比較にもならない、 神と真実の完全な力強さを感じたでしゅ ![]()
はい♪ このお話についてもっとお知りになりたい方は、こちらもご参考ください。 真の自己は完全無敵・決して傷つきえない
『雲を突き抜けて☆』――お話ありがとう♡
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| ともしび茶屋全体で、最近更新(新着)された、おにゅ〜な話題だよ☆ | |||
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ともしびメイド
新しいお話をありがとうございま〜す☆カッコ内の数字は参加者の数で、数字のクリックで最新のお話にジャンプできますよ♪ |
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うまく学べた働けた!:
聖霊のレッスン
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仙人になった!(精神世界):
聖霊の声を聞く方法
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みんなで発展した!:
神の愛と、エゴ版の愛
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仙人になった!(精神世界):
自我(エゴ)の台本「願望と錯覚」
(17)
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心身が健康になった!:
ゆるし(赦し・宥し)
(10)
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みんなで発展した!:
この世は想念の世界―与えることによって増える
(10)
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本当の自分になった!:
自分の「解釈」のパターンに気づこう☆
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仙人になった!(精神世界):
平安を本気で望むとは―錯覚の完全放棄
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うまく学べた働けた!:
愛を教え、愛を思い出す
(2)
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心身が健康になった!:
恐れを感じるなら、その幻想を自分が信じてるだけ
(13)
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心安らいだ…:
真の自己は完全無敵・決して傷つきえない
(11)
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うまく学べた働けた!:
象徴は一時的な手段・道具として活用する
(2)
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セレブになった!:
繰り返す賽の河原と餓鬼
(2)
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仙人になった!(精神世界):
投影をやめて、拡張へ
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人間関係がうまくなった!:
すべての人に完全の像をみる
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ともしびメイド
関連本「神の使者」をご既読で、そしてコースの学習意志のある方でございます。
私が投稿・参加できるアトラクションは?よろしければ、 あなたも「奇跡のコース」をごらんになってみませんか? ともしび茶屋の話題をごらんになり、コースに関心をお持ちになったみなさまのために 「奇跡のコース」本書と その関連本を集めてみました。 本か書名をクリックすると、ともしびブックスのクチコミページへ、 「情報を見る」をクリックすると Amazon.co.jp の詳細ページへ行くことができますよ♪ |
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A Course in Miracles(奇跡のコース)
[ 情報を見る ] 「奇跡のコース」本書です。(英語) 最後の悟りの準備ができている人だけが出会い、理解することのできる、エゴと輪廻の幻想を終わらせるコース(講座)です。 1300ページを超えるコースで、ワークブック部の実践だけでも1年以上の時間が必要であり、全編の理解には一生かかるかもしれません。 真の自己である「完全な愛・一体・永遠」を受け入れるため、障害となっている偽りの自己「分離・身体・死」などの信念を取り除くことを目的としており、すべてのパラダイムを完全に逆転させます。 信念を変えることは最も簡単であると同時に、最も難しいことであるため、悟るべき時期に来ている人しか本書に関心を持つことはないと思われます。 |
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関連本編(日本語のみ) |
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神の使者 【超オススメ!】
[ 情報を見る ] 「奇跡のコース」学習者なら言わずと知れた、最高の「コース」副読本です。 コース本書よりも先に読んでもいいくらいの名著です。 まずは日本語の本からコースを学びたい方や、コース本書の理解に挫折しそうな方にもおすすめいたします。 かつてわたしたちと同じようにコースを学び、日々の赦しを実践し、無意識の罪悪感を取り除き終え、ついに神の啓示(悟り)に到達したマスターが 直接指導してくれる驚異の本です。 とくに、かつてマスター自身も体験した、コース学習者が本道から逸れてしまいがちな誘惑や陥りがちな罠、自己欺瞞についても 非常にわかりやすく訂正してくれるため、まっすぐ進むためには、これ以上なく助かるでしょう。 コース関連本はたくさんあれど、唯一正確にコースの思想を伝えています。 続編の「不死というあなたの現実」も大変感動的です。 |
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スターピープル Vol.22
[ 情報を見る ] 「奇跡のコース」誕生の経歴、関わった人々、現在 コース関係で活躍している人の情報など、コースの背景をよりいっそう深く知りたいときに役立つ本(ムック)です。 ヘレン・シュチュクマンやビル・セッドフォードのことはもちろん、ケネス・ワープニックやゲイリー・レナード、マリアン・ウィリアムソン、果てはニール・ウォルシュのインタビューまで載っていて、好事家にはたまらない魅力のつまった一冊です。 |
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愛への帰還
[ 情報を見る ] 上記「神の使者」が日本語化されるまでは 「奇跡のコース」を日本で紹介してくれる唯一の本でした。 内容的には、著者の主観でかなりコース本道からそれており、おすすめはいたしかねます。 しかし、非常にシンプルで、また著者の体験談により内容がわかりやすいため、コース入門用としては良書といえると思います。 |
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聖なる愛を求めて
[ 情報を見る ] 上記「愛への帰還」と類似点の多い本です。 「奇跡のコース」の内容を 男女の愛情関係にあてはめて活用する方向で進めており、正確なコースの思想を求める人には適切とは言いがたい本です。 しかし、「愛への帰還」同様に、コース入門用としては良いかと思われます。 |
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ゆるすということ
[ 情報を見る ] 「奇跡のコース」の最大のテーマ「ゆるし」に焦点を当てた コース学習者でも充分満足できる内容です。 コースからの引用も多々あり、コース未学習者にもやさしい本です。 しかし、いかんせんページ数が少なく、密度的には満足はできないかもしれません。 あと、コースで学ぶべき「ゆるし」とは、ほんの少し方向性がずれているような気もします。 これも、あえて言うなら「コース入門用」の本です。 |
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非関連本編(日本語のみ)非関連本編は、「奇跡のコース」について直接の言及はありませんが、コースと同じ 思想が学べる、非常に有用な本です。 じつは、こちらの方が上記「関連本編」よりも有用な本が多いです。 |
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無条件の愛 【オススメ!】
[ 情報を見る ] この本は正直、驚愕いたしました。 何がと申しますと、内容の密度、高度、わかりやすさ、すべてにおいて最高レベルのバランスが取れているからです。 それもそのはず、この本は人間の著者が書いたわけではなく、コースの「声」と同じ存在と著者が同調して書かれた いわば「チャネリング」本です。(著者は、ある誤解を避けるためにチャネリングとは呼ばれたくないようですが) コース本書、「神の使者」に次ぐ 非常にハイレベルな本であり、コース学習者ならぜひ読んでおくべき必携の書かと思われます。 |
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心身の神癒(入手困難)
[ 情報を見る ] ズバリ、現代版「山上の垂訓」です。 上記「無条件の愛」と同じく、コースの「声」がそのまま語った いわばチャネリング本です。 もともと本ではなく、講演の記録を文章化したものです。 非常にハイレベルで、密度も濃く、上級のコース学習者向けの本だと思います。 ただ、翻訳が少々前時代的なため、古い本独特の言い回しが大丈夫な方におすすめします。 |
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イェシュアの手紙
[ 情報を見る ] 著者が瞑想中にイェシュアから受け取ったメッセージを、著者の体験談と織り交ぜながら紹介しています。 イェシュアの語りは、翻訳の仕方なのかどうかはわかりませんが、まるでポエムのようなノリです(笑) とても良い本だとは思いますが、コース本書の学習者なら少々物足りなさを感じるかもしれません。 「悟りは心さえ変えれば瞬時だよ」とはいえ、その心が簡単には変えられないからこそ コースのような徹底したシステマチックな講座があるわけで、この本だけで事足りることは、まずないと思われます。 お話を聞いてくださり、ありがとう♡
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