![]() ![]() |
||||
学習と実践 ともしび茶屋
(仙人になった!(精神世界))
|
||||
| あなたは、「仙人になった!(精神世界)の部屋」の 『自我(エゴ)の台本「願望と錯覚」 1 2 ≫ 』 という話題のテーブルにやってきたよ! | ||||
|
|
|
|||||
|
バーテンダー
この部屋では、こんなお話がされているようです。 |
|||||||
|
自我(エゴ)の台本「願望と錯覚」
08/7/8
|
|||||||
|
この世界では「犠牲」と「喜び」が逆転している!?
08/7/10
|
|||||||
|
神の最後の審判
08/7/11
|
|||||||
|
願望と錯覚
08/8/14
|
|||||||
|
真実への信頼
08/8/14
|
|||||||
|
犠牲があると思えるときは、錯覚を信じているだけ
08/11/19
|
|||||||
|
願望 犠牲
08/11/19
|
|||||||
|
「あなたはすべてを持っている」と“教える”ことで“思い出す”
08/11/21
|
|||||||
|
根源的な渇望「私って何?」
08/11/21
|
|||||||
|
聖霊による唯一の答え
08/11/22
|
|||||||
| 1 2 ≫ | |||||||
|
|
|
||||
|
仙人になった!(精神世界): 自我(エゴ)の台本「願望と錯覚」 08/7/8 はいはい、こんにちは☆ ともしび仙人でございますよ。 いつもお話を楽しみにしてくださっている同胞へ、どうもありがとう ![]() 今日のお話は、何でしゅか? ときおり、「奇跡のコース」をすでにかなり進めてらっしゃる方でないと 非常に受け入れがたいお話をさせていただいていることがありますが… 今回のお話も、その類のものですじゃよ。 まだ「奇跡のコース」に取り掛かっていらっしゃらない方は、 ここから先へ進まないでくださいね。 せっかくですが、ブラウザの「戻る」で、お戻りくださいね。 ここまで見てくれて、ありがとう ![]() ………。 さて、今ここをごらんになっているあなたは、すでに「奇跡のコース」の 学習者ですじゃね? では、安心してお話いたしましょう。 今日は、「自我(エゴ)の願望」と、それが作っている錯覚の世界について。 自我の願望? あなたも、かつては色々な願望をもっていたのではないでしょうか。 もっとお金がほしい、 もっと素敵な家がほしい、 もっとかっこいい車がほしい、 もっと理解あるパートナーがほしい、 もっと人を思うように動かしたい、 もっと尊敬される立場がほしい、 もっと旅行したい、 もっと自由になりたい、 もっと平和な世界にしたい、 もっと… 「もっと」がつく「この世界の願望」であれば、何でも同じですじゃ。 すべて「自我の願望」ですじゃね。 良いとか悪いとかの区別なく。 うんうん。 あなたが願えば、すべては叶います。 わざわざ「引き寄せの法則」とか、「宝地図」とか、そんなものを用意 しなくても、すでに叶っているのですじゃよ。 それらのツールは、単にその願望に集中して、実現までの時間を 短縮するだけのことにすぎません。 …で、いまだに、それらの願望に固執されていらっしゃるでしょうか? 「奇跡のコース」を進めていらっしゃる方なら、もうご存知だと思います。 「自我の願望」とは、「神への反逆の意志」以外の何ものでもない、 とね。 …言っちゃったでしゅ〜。 だから、こういうお話は、一般向けにはできないのでしゅよね。 自我の願望が、なぜ神への反逆の現れなのでしょうか? はい、うさちゃん。 えっとねぇ、 そもそも、「自分は神から分離している」という信念が、自我(エゴ・意識) を作り出した(夢見た)のでしゅよね。 その自我が、勝手に神の罰を恐れ、神から逃げるために作り出した(夢見た) のが、この世界や宇宙でしゅ。 その世界の中で、他から分離して、ポツリと存在しているかのように信じ込ま せるために作り出した(夢見た)のが、身体でしゅ。 自他問わずね。 こうして、自分が世界を作ったのではなく、世界が自分を作ったという錯覚に 陥り、自分はとて〜も弱々しい存在だと思い込めるでしゅ。 自他ともに「身体」なら、攻撃できるし、攻撃されうるし、 意志の疎通は言葉によらないとできないし、そのうえ不完全だし、 自分には足らないものがあるし、だから不平不満だらけだし… というわけで、それらの不安や恐れや不平不満を埋めたいっ!と願うのは 当然のなりゆきでしゅよね。 そして、自分が世界を作ったのではなく、世界が自分を作ったと信じている ものでしゅから、答えは内側でなく、外側に求めちゃうのでしゅよ。 ほんとは自分が夢見て作ったこの錯覚の世界にね。 ところが、本質的に錯覚でしゅから、願っていたものを手に入れても、 これがまた、まったく満たされないのでしゅ。 手に入れたと思った瞬間だけは気持ちいいかもしれないけどね。 こうして、まるで水を求めて海水を飲むがごとく、 飲めば飲むほど飢え乾き、さらに飲む…という悪循環にはまるのでしゅよ。 つまり、答えのないところに答えを求めている、ということでしゅね。 でも、それは当然なのでしゅ。 そうなるように仕向けられているのでしゅから。 自我は、自我を維持することだけを第一優先しているでしゅよ。 なぜなら自我は、自我がでっちあげた錯覚の世界でしか生存できないから。 だから、自我に頼れば頼るほど、自我は自分自身を強化するように働くでしゅ。 決して、自我が錯覚の世界から抜け出す方法を教えることはありえないでしゅ。 そうして、いつまでも答えのないところで答えを探し続け、 いっこうに答えのあるところ(神)に帰ろうとさせない、 それが、「自我の願望」の正体だからでしゅ。 自我の願望とは、神に帰ることを拒み、 自分自身が神に取って代わろうという意志そのものでしゅね。 よくできました〜☆ もちろん、一般的な人々は、自我のルーツなんて知りませんし、 とくに巧妙に隠されていることですし、自我の願望に救いを求める 気持ちも、よ〜くわかりますじゃ。 そうでしゅね。 彼らは善人でしゅ。 ただ、暗闇の中で脱出口を求めてさまよい、そのとき光ではなく、 自我に頼っちゃったのでしゅよね。 しかし幸いなのは、 自我が与えてくれるものは、すべて長持ちしない ということ。 そりゃまあ、錯覚ですからね。 何度得ても得ても、得るたびにすぐに壊れていく宿命ですじゃ。 だから、経験が教えてくれます。 「何かおかしいぞ…? もっと他のやり方があるんじゃないか…?」 ――とね。 そういう自我への疑惑が芽生えたときが、真の目覚めへのチャンス。 せっかくのチャンスでも、また自我へと 戻っていく人もいると思うでしゅけど。 それもよし。 そこでもまた、自我に裏切られるでしょう。 そのとき今度こそ、内なる聖霊の声に耳を傾ける気持ちが強まっている のではないですか? 何度でも、本人が納得するまで、 「自我に頼り、裏切られ」 を続ければよいと思います。 神と聖霊のすばらしいところは、決して強制しないところですじゃよね。 だから、本人が声高にさけぶ自我と一体になっている間は、聖霊の声を 聞くことは決してできません。 聖霊は、いっさいしゃしゃり出ません。 静かに沈黙して、自我の思いを手放して、無になったときのみ、ようやっと 聞き取れる小さな小さな声。 だからこそ、このようなお話も、まったく誰にも押し付けたくないのです じゃよ。 聞く耳をもった人にしか意味がありません。 だから、上でも「おことわり」をあらかじめしているのでしゅね。 でも、聖霊の声を聞くことに慣れれば慣れるほど、今度はそれが当たり前に なりますし、外界の音など、古びたモノクロのテープの音のようにかすれて 非現実的に思えてきますじゃ。 ここでお話したかったテーマとは、 「自我の願望と、その願望を叶えるためのツールになんて いつまでもしがみついていても仕方がないよね」 ということでした。 水を求めて海水を飲むようなまねは、少なくとも目覚めかけて いる人にとっては、こんな愚かなまねはありません。 水はきちんと水のあるところに求めましょう。 それも、もっとも自分に近いところにあるのですから。 自我の願望に従うとは、手元に水筒があるのに気づかずに、 外側の海水を求めているようなものでしゅね。 お〜う、意味なし! このテーマは、ほんの序の口。 またお話するかもしれませんね。 『自我(エゴ)の台本「願望と錯覚」』――お話ありがとう♡
|
|||||
|
|
|
||||
|
仙人になった!(精神世界):
自我(エゴ)の台本「願望と錯覚」
はいはい、こんにちは♪ 今日は、「奇跡のコース」初心者の方がよく勘違いしやすい 「犠牲」ということについて、お話しましょうか。 犠牲? 「コース」初心者の方は、「コース」はこの世界の物事・願望・欲求を あきらめろ、犠牲にしろ、と言っているように受け取りがちですじゃ。 まずここで、つまずく方も多いのですじゃよ。 そうでしゅね。 よろしいでしょうか。 「コース」は、その物事・願望・欲求の対象自体が「錯覚」だ と言っているのですじゃよ。 錯覚…、それは存在していない、ということです。 最初から存在していないものを、なぜ「あきらめる」ことができるの でしょうか? 「あきらめる」なんてことができるのは、存在しているものに対して だけではないでしょうか? そうでしゅね。 最初からないものをあきらめるなんて、なんか言葉からしておかしい でしゅよ。 最初から持っていないものを捨てなさいなんて、おかしいでしゅね。 犠牲とかあきらめる、ということ自体が、錯覚の世界の中でしか ありえない錯覚なのですじゃよ。 捨てるとかいうことが不可能な真実の世界には、そんなものは存在 していません。
「この錯覚の世界が与えてくれるものは同じく錯覚なので、 この世界が与えてくれるものは結局一つもない」 ――という事実を理解するまでは、かなりの学習を要しますじゃ。 まあ、それが理解できれば、答えのないところに答えを探そうとする 人はいないでしゅよね。 この世界で、あきらめるとか犠牲といった概念を使うときは、 必ずといっていいほど「身体」が関わっていますじゃ。 むしろ、「身体」が関わるときのみ、あきらめるとか犠牲という 言葉が出てきますじゃよ。 身体って、自他ともに幻覚なのでしゅよね。 世界の中にあるすべては、錯覚でしゅから。 そう、「心」はいっさい関わっていません。 ちょっと考えてみてほしいのですじゃよ。 もっとお金がほしい、 もっと素敵な家がほしい、 もっとかっこいい車がほしい、 もっと理解あるパートナーがほしい、 もっと人を思うように動かしたい、 もっと尊敬される立場がほしい、 もっと旅行したい、 もっと自由になりたい、 もっと平和な世界にしたい、 もっと… 名声でもお金でも快楽でも何でもいい、 こんなことに関わっている「主人公」は、誰でしょうか? 「身体」でしゅね。 個人としての。 「身体」は何も考えることはできません。 上の欲求の対象と同じく、ただの錯覚で、存在していませんからね。 それなのに、心が身体を自分自身であると勘違いし始めると、それらの 欲求を追いかけ始めてしまいますじゃ。 追いかけ続けているうちに、本当の自分は何なのか、わからなくなって しまいますじゃ。 本当の自分は、心なのにね。 はい。 いったんこのような混乱・混同が生じてしまうと、心はその錯覚を現実だと 信じてしまうため、それらはみんな取るに足りないものだとは認識できなく なるのですじゃよ。 身体にとっては大切でしゅもんね! そして今や心は、錯覚を追いかけ、答えのないところで答えを探し続け、 存在しないところで天国を求め続け、結果、いつまでも見つからない…。 「不平不満」を抱くはめになるのは、必然ですじゃね。 こんな状況に自分を置いておいて、心は自分を非難せずにいられる でしょうか? 他人を非難・批判したり見下したりしている怒りの本当の原因は 「自己嫌悪」だと、もう知っていますじゃよね。 自分で自分を非難してしまうのはなぜか? その原因は、「自分は何者であるか」という決断の誤解に由来しており、 当然、みずから信じている自分を疑うことなどできはしない。 そう、他のことなら何でも疑ってかかる人でも、みずから信じている自分を 疑うことなどできはしないのですじゃよ。 だから、錯覚を信じている限りは――錯覚を疑おうともしない限りは、 エゴのループ(輪廻)からは抜け出せないのでしゅよね〜。
真の犠牲とは何か? それは、「錯覚を信じてしまうこと」 ですじゃよ。 なぜなら、そこでは天国を探しても探しても見つからないのですから。 この世界で「楽しみ」と呼ばれているものや、この世界での目標を 追いかけている者で、最後に失望を味わないものはいません。 ただの一つたりとも、ただの一人たりともね。
これを知っちゃったらねぇ〜 もはや後には戻れないでしゅよね。 なんで屠殺場を恋しがったりできるでしゅか。 真の知覚(洞察力)を選べば、完全にすべてがまったくの無償で 手に入りますじゃ。 錯覚を選べば、多大な労苦の果てに、結局は消え去る幻を手に 入れることになりますじゃ。 いったい、どっちが犠牲なのでしょうか? いったい、どっちが喜びなのでしょうか? この世界においては、「犠牲」と「喜び」が反転しているでしゅよね。 まあ、それに限らず、すべてが反転しているのでしゅけど。 さて、このお話にお付き合いいただいた同胞には感謝いたします。 これはね、他人に話すために話していることではないのですじゃよ。 いまさら、じいにとって自分から分離された他人(個人)なんてものは ないですし、自分自身が習得したいことを自分自身にお話しているだけ なのですから。 ですから感謝というのは、自分自身に対してしているといえますじゃね☆ これがわかったとき、すべての「自己嫌悪」も消え去ることでしょう。
『この世界では「犠牲」と「喜び」が逆転している!?』――お話ありがとう♡
|
|||||
|
|
|
||||
|
仙人になった!(精神世界):
自我(エゴ)の台本「願望と錯覚」
神から、最後の審判が、下されるぞ〜〜 神の目からは、何者も、逃れられない〜〜 さあ、覚悟するがよい〜〜 な…なに!?? にゅきゃ〜〜、こ、怖いでしゅ〜〜!! ……って、こら。 また、じいじの冗談でしゅか。 もう知ってるもん。 神は裁きなんて下さないって。 いやいや、それは誤解ですじゃ。 神はあなたに、最後の審判を下しますじゃよ。 確かに、確実に。 えええ!!?? まぢ!!??? 神の最後の審判は、こう始まる―― 『 聖なる者よ… あなたは永遠であり、自由であり、完全なるもの。 神の胸のうちにて、いつまでも平安である。 世界はどこに行き、今や悲しみはどこにあるというのだろう… 』 ………あれ? ほえほえほえ、むっふっふっ。 だまされましたなあ〜、こうじくん♪ 「神の最後の審判」と聞いて、なんか怖かった? ねえ、怖かった?? ……悪趣味じじいめ。 いやいや、ユーモアと呼んでほしいねっ! これは、「コース」のJのユーモアをちょっと拝借したのですが。 えええ!??? Jって、真面目一辺倒な人かと思っていたでしゅよ。 まあ、それもよくある誤解の一つですじゃね。 天国は喜びのみ、笑顔のみしかないのに、その天国の法を伝える教師が ユーモアがないというのは、ちょっと考えればおかしいとわかりそうなもの ですのに。 そ…そうでしゅね。 話を、「神の最後の審判」に戻しましょうかね。 要するに、これは、神の最後の啓示 ですじゃよ。 ああ、「悟り」の別称でしゅね。 悟りに到達した瞬間、はじめて聖霊を介さずとも、直接神の愛の啓示を 言葉によらず体感できるという…。 このあと、神の目的があるなら、ちょっとのあいだ身体の幻想にとどまる こともできるけど、基本的には、もう身体は消えるでしゅよね。 ![]() 神は、いつでもあなたを――神の子を、是認していますじゃよ。 それこそ、ものすごい絶対絶大な、欠けることなき完璧な無条件の愛でね。 この世界の愛からは想像すらできないほどの。 白い鳩も飛び回るよ! ←たとえ しゅごいでしゅね〜。 そう、「しゅごすぎて」、受け取れないのですじゃよ。 あなたが。 神はその愛をいつでも差し出していて、差し控えたことは ただの一瞬たりともない。 あなたが自分で勝手に、自分自身を貶め、愛に値しない者 だと見なしているから、受け取れないのですじゃよ。 神の啓示を。
ああ〜、だから、ボクにはまだ受け取れないのでしゅね〜。 ほんの一瞬でも、恐れを連想しちゃうなら。 受け取れないのは、ボクの責任でしゅよね〜。 神は、ずぅ〜っと差し出し続けているのでしゅから。 そうですじゃね。 自分自身に、 『 聖なる者よ… あなたは永遠であり、自由であり、完全なるもの。 神の胸のうちにて、いつまでも平安である。 世界はどこに行き、今や悲しみはどこにあるというのだろう… 』 ――という審判を下せたとき、確実に神のもとへ帰れるでしょう。 うんうん。 ですからね、自我に勝手な判断をさせたり、勝手な願望を抱かせたり しないほうが賢明ですじゃよ。 それは結局、自分自身を裁いているだけですから、神への帰還を遅ら せることしかできません。 「無判断」でしゅね! 唯一存在するのは神の判断のみ、 「神の子は無辜であり、罪は存在しない」 ――これだけ。 そう。 自問するとよいですじゃよ。 「自我の判断を手放して、内なる神の声に耳を傾けているだろうか? それとも、まだ神の役割を横取りしようとしているのだろうか?」 ――とね。 そっかあ〜。 このテーブルと、「もっとも賢明な判断とは―判断の放棄」のテーブルを 統合したようなお話でしゅね、今日のお話は! そうですじゃね。 でも、念のために言っておきますと、それらのお話はじいの独創では ありませんからね。 ここはけっこう大切なポイント。 だって、個としての自分自身なんてものは錯覚で、錯覚に何かができる わけがない―― 個人という錯覚を完全に捨ててこそ、すべてなるものを受け入れられる のですから。 ああ、「真の謙遜」ってやつでしゅね。 「神の使者」いわく―― 「神が自分の唯一の源です」と言い切ること。 「自分は不完全な人間です」と言うのは真実ではない。 Jが「わたしは何もできない」とか「わたしと父は一つです」と言ったのは、 特別とか個性とか自分が何かを生み出すという考えは一切捨て、神の力を 受け入れていたから。 ありがとう、 すばらしく楽しい話題と智恵を与えてくれる神に感謝ですじゃ ![]() 最後に、「奇跡のコース」から、こんな言葉を引用しましょう。
そうでしゅね! ほんっと無意味で存在しない幻覚の物事や出来事に惑わされて、 自分自身の聖なる心をわずらわせるなんて、ばっかみたい。 神が保証してくれているのでしゅから、ボクたちの聖性は。 くだらない判断はポイッと捨てて、 神の唯一の判断のみを受け入れるでしゅよ☆ 『神の最後の審判』――お話ありがとう♡
|
|||||
|
|
|
||||
|
仙人になった!(精神世界):
自我(エゴ)の台本「願望と錯覚」
このお話には強烈なインスピレーションをいただいて、
毎日読ませていただいてます
今までは、 願望が叶っても、なぜか 思った程満たされない。 願望が叶わないと、不満。 あきらめようとすると、むなしい。 『なぜ?どうして?』の繰り返し・・・。 ほんとに答えのないところに答えをさがしてたんですね
まだまだ何かを求めてしまってる意識を感じつつも、 これからは 錯覚 を選ぶことにならないように 実践していきたいと思います。
『願望と錯覚』――お話ありがとう♡
|
|||||
|
|
|
||||
|
仙人になった!(精神世界):
自我(エゴ)の台本「願望と錯覚」
キッドしゃん、こんちは〜♪ お話ありがとうございます。 そんなふうにおっしゃっていただけて、 じいも「奇跡のコース」からインスピレーションを受けたかいが いっそうあったものと、両者とその源に感謝しております ![]()
わかるわかる、でしゅ。 そうなのでしゅよね〜。 結局、この世に求めていたものは、本当は存在していない「錯覚」。 錯覚だから、手に入れても本当には心を満たしてくれないし、 だったらそれをあきらめて代わりの何かがあるのか?といえば、 何も見当たらないし… だったでしゅもんねぇ。 精神世界、自己啓発、宗教、科学、潜在意識…などなど色々探訪してみても、 最終的に納得できるものは一つもなかったでしゅよね。 それは当然、それらも錯覚だから。 昔は「聖霊の声」とは知らなかったけど、どこか違うぞ!?と心の奥が 警鐘を鳴らしてくれていたのでしゅよね。 この心の奥から聞こえる警鐘は、無視しようと思えば簡単に無視できるでしゅ。 だから、ボクも含めてだけど、多くのほとんどの人がそれを無視して、 聞こえないふりをして、自分をだまして、錯覚のために(夢とか勝利とか成功 とか綺麗な言葉でごまかして)人生と時間と労力を費やしているでしゅね。 「奇跡のコース」に出会ったとき、やっと聖霊が祝福してくれたでしゅよ☆ 「これこそ本物だ!」と、心の奥から満足できたし、ずっと学習を続けてきて、 いまだに「おかしいなあ」というような部分には出会っていないでしゅ。 こんなことは、初めての経験でしゅ ![]()
おたがいさまですじゃ ![]() ついつい昔の心の癖が出そうになるのは、長年その癖に慣れてきたから。 新しい信念で心を正して、それを新しい習慣にしましょうね♪ あのJでさえも、自分を身体だと信じたり錯覚を求めたい誘惑に 引っかかりそうになったときには、何度も何度もわたしたちのように 新しい信念で考え直したそうですじゃ。 真実は必ず成功します。 失敗が可能なのは、偽りだけですじゃ。 個としての自分自身を信頼しているのではなく、真実を信頼しているの ですから、成功を疑うことなく、赦しのチャンスのたびに赦しを実践して、 おたがいに心を整えてまいりましょう
『真実への信頼』――お話ありがとう♡
|
|||||
|
|
|
||||
|
仙人になった!(精神世界):
自我(エゴ)の台本「願望と錯覚」
ところで、上でお話した「犠牲」という考え方の誤解について、 この世は想念の世界―与えることによって増える――この話題でもお話していますじゃよ。 そう、ありとあらゆるものが想念である なら、 どうして何かを失うことが可能なのでしょうか? 犠牲が可能だと信じることができるなら、 「ありとあらゆるものが想念である」という考えを否定して、 「ありとあらゆるものが物質である」と信じているときだけ なのではないでしょうか。 犠牲という概念が出てくるのは、 100%「身体」が関わるときだけでしゅよね。 本当に「ありとあらゆるものが想念である」なら、 むしろ想念は与えると増えるのではないでしょうか? 受け取った人の心の中で、そして与えた自分自身の心の中で。 ならば、祝福を出し惜しみする意味がわからないですじゃよね♪ ![]() 本当に一番大切なものは、与えることでそれを守ることができます。 与えることで、どんどん増えます☆ 「犠牲」など、決してありえない―― もし犠牲になってしまったと思って、苦しみを覚えるなら、 ただ自分が勝手に錯覚を信じているだけだけだということを 覚えておきましょう。 正常な認識を取り戻せば、何事もなかったのですから、 あっというまに楽になれますじゃ☆ 奇跡のコース(ACIM)あなたは自分自身に与えることができるだけだ ということを、決して忘れないでおこう。 Never forget you give but to yourself. 与えるということの意味を理解している人なら、 犠牲という考えなど笑い飛ばすにちがいない。 Who understands what giving means must laugh at the idea of sacrifice. また、犠牲が取るかもしれない多くの形を必ず認識できる。 Nor can he fail to recognize the many forms which sacrifice may take. 苦しみや喪失、病気や悲しみ、貧困や飢餓や死なども笑い飛ばす。 He laughs as well at pain and loss, at sickness and at grief, at poverty, starvation and at death. こうした人は、それらすべての形の裏に犠牲という一つの想念が 留まっていることに気づいており、優しく笑い飛ばし、それらを癒す。 He recognizes sacrifice remains the one idea that stands behind them all, and in his gentle laughter are they healed. Workbook lesson 187
『犠牲があると思えるときは、錯覚を信じているだけ』――お話ありがとう♡
|
|||||
|
|
|
||||
|
仙人になった!(精神世界):
自我(エゴ)の台本「願望と錯覚」
こちらの話題にあらためて感謝いたします ![]() まだまだエゴの「実に巧妙な・実に絶妙な」罠に翻弄されて、錯覚を追い求めてしまって苦しみを覚えてしまう時があります ![]() 100日を平安で過ごせても、1日が苦になったときに逆にダメージが大きいような・・・ ![]() ホントに「もう限界・・・ 」なんて思ってしまいそうになっちゃいますが、とりあえず 3歩進んで2歩下がる。100歩進んで99歩下がる。1000歩進んで999歩下がるです ![]() 『願望 犠牲』――お話ありがとう♡
|
|||||
|
|
|
||||
|
仙人になった!(精神世界):
自我(エゴ)の台本「願望と錯覚」
すでにすべてを持っているキッドどの、こんにちは☆
そうですじゃね、 すでにすべてを持っているのに、 「いいや、自分は持っていない」 という分離の錯覚を支持したいときは、 どうしても苦しみを覚えることが可能ですじゃよね。 誰が何と言おうと、キッドどの自身が何と言おうとも、 真実は変わりません。 わたしたちは、すでにすべてを持っている! ――これが、真実 ![]() ぜひ気を楽にしてくださいね♪ エゴは、「この貴重なもの(ほんとは錯覚で無価値)を手放すと死ぬぞ !?」 みたいな脅しが得意ですが、実際に錯覚を手放したときにエゴの脅しどおり になることは絶対にありません。 だって、錯覚にすぎず、最初から存在していないし、 一度も何の影響も及ぼしてはいないのですから。 影響がありえるとするなら、自分自身がエゴの言葉こそが真実だと信じて、 みずからその通りの状況を「見出そう」としたときだけ。 愛する同胞には、ぜひとも「恐れ」を手放していただければ、と思います。 あなたは、すでに完璧。 何一つ不足するものなどない。 まちがいなくすべてを持っている ![]() ――このメッセージを、周囲の人々、そしてともしびワールドでも お伝えください。 自分が教えることが、自分そのものなのですから ![]() 奇跡のコース(ACIM)あなたは自分の教えていることそのままだ。 you teach you are. Text 6 - 4
『「あなたはすべてを持っている」と“教える”ことで“思い出す”』――お話ありがとう♡
|
|||||
|
|
|
||||
|
仙人になった!(精神世界):
自我(エゴ)の台本「願望と錯覚」
「わたしって、何者なんだろう…?」 ――この疑問は、この世界にやって来る人なら、 100%すべての人が抱いたことのある疑問だと思いますが、 いかがでしょうか? うん、そうでしょうね。 そして、「自分探し」という名のもとに、答えを求めて、 世界中を旅している人もいるでしょう。 文字通りの旅行以外にも、見知らぬ人や色んな機会との出会いを求めたり、 インターネットをさまよったり、たくさんの本を読んでみたり、 たくさんの資格や教養を学んでみたり、仕事に没頭してみたり、 数々の買い物をしてみたり、数々の快楽を追い求めてみたり… すべての原点には、 「わたしって、何者なんだろう?」 ――この問い、「アイデンティティへの渇望」があると思うのですが、 いかがでしょうか。 うん、あるある! もちろん、意識的にではないけどね。 心の奥にしまいこまれた、無意識の渇望… それを満たしたいのでしゅよね! 人々が、いわゆる「自己重要感」を求めてやまないのも、 このためでしゅ。 …で、この世界で色々なことをして、 本当にその「渇望」が永遠に満たされた人など、 いるのでしょうか…? う〜ん… まあ、いないでしゅよね。 色々なことをしようと企画している間と、実際にしている間は、 なんとなく渇望がごまかされているのだけど。 でも、それらを終えた後、本当に渇望が満たされたのかといえば… NO。 満たされてはいないでしゅね。 そらそうだ、だって、ごまかしているだけなんだもん。 そんで、「次こそは!」と思って、 また別の色々なことに取り組んだりするのでしゅよ。 …この繰り返しでしゅね、この世界は。 そうして延々「渇望」を継続させ、この世界に答えを求めさせ、 執着させ続ける仕組みに気づいている人は、ほとんどいません。 「奇跡のコース」や、一部の真摯な宗教・哲学に取り組んでいる人以外は。 そこで、「本当に渇望を解決する方法」 …それがある場所について、 お話させていただこうと思います☆ おおおっ !!! 『根源的な渇望「私って何?」』――お話ありがとう♡
|
|||||
|
|
|
||||
|
仙人になった!(精神世界):
自我(エゴ)の台本「願望と錯覚」
ここの話題のちょっと上でのお話、 「この世界では「犠牲」と「喜び」が逆転している!?」より――
「自分とは何者なのか?」 この質問に対する、「誤った答え」に由来しているのですじゃよ… 無意識の「渇望」とは。 要するに、「自分とは何者なのか?」―― この中心的な問いに、この世界では不完全な答えしか見つけられず、 それを無理に信じるしかないと思っているから、苛立つのですじゃよ。 自分自身に対してね。 しかも、自分自身に対して苛立ちを抱く人だけが、 自分自身の投影である他人に対しても、その苛立ちをぶつけることができます。 …こんなばかげたことは、続けたくないですじゃよね。 少なくとも、正気でありたいと望む人なら。 ですから、この問いついて、聖霊の答えを聞き、 明白に解決しておきましょう☆ いえ〜い☆ 「自分とは何者なのか?」 ――この質問を最初に持ち出したのは、自我(エゴ)ですじゃ。 なぜなら、天国ではこんな質問は絶対にありえないから。 天国では、自分とは何者であるか、決定的に明白ですから、 この質問の元である、そもそもの「疑念」がないのですじゃよ。 質問が発生するとしたら、わずかでも疑いがあるときだけです。 天国では、そんな疑いが、わずかすら存在しない―― ありとあらゆるものが、完全に神のうちで、平安そのもので 生きていますからね。 本来は、まったくもって無意味な質問ですじゃ。 しかし、そんなくだらない質問…というか疑念に足を踏み込んでしまったのが、 人間という分離した身体の夢を見ているわたしたち。 なぜ「夢」なのかというと、身体など存在していないからです。 存在していないものを見出すには、夢を見て、錯覚をでっちあげるしか 方法はないですからね。 とにかく、わたしたちはバラバラの身体となってしまった… 天国での本来の一体の自己とは別の存在になってしまった… そんなふうに感じていると、「自分とは何者なのか?」 ――という質問が浮上してくるのは、当然の成り行きですじゃね。 こんな質問が生じることができるのは、 自分自身を見失っているときだけですから。 自分自身を知っていたら――そもそも疑いがなかったら、 こんな質問は生まれることはないでしゅよね。 だから、本来は無意味な質問なのでしゅね! さて、自我は、「自分とは何者なのか?」 という質問を持ち出しました。 これに派生する形で、似たような質問もたくさん生み出しました。 …ところが、お気づきでしょうか? 自我はたくさんの質問を持ち出したくせに、 ただの一問たりとも、まっとうに回答していない! ということを。 そう、自我は決して答えることができないのですじゃよ。 なぜなら、「答えを知らないから」。 えええ〜っ !!? 「自我は何も知らない」 ――この決定的事実を明白に認識するまでは、 自我を頼り、右往左往して、葛藤を体験することを終えることは できないでしょう。 「自分探し」という言葉もありますが、 本当の自分を探そうと思って、自我に頼って探しても探しても、 見つかるわけがない… この世界は自我の投影の産物ですから、 一時的には、まちがいなく何かが見つかることでしょう。 しかし、それもすぐに元の木阿弥ですじゃよ。 なぜなら… 自我は何も知らないし、 何より投影は一時的な幻覚以外の何物でもないから? そうですじゃね。 自我のもっとも最高的な、独創的な活動でさえ、 この質問を不明瞭にするだけで、ますます迷いにはまりこむだけなのですから。 自我が見つけてきた、形上は一見成功に見えるようなものでさえ… むしろ自我的な成功こそ、本来の答えから遠ざけるのでしゅね! 「自我は答えなど知らない」 という、決定的事実から。 …うわ〜。 この世界で成功したと思って、逆にドツボにはまっていたら、 悲しすぎでしゅね…。 自我は、ベラベラとしゃべります。 あなたよりもまっさきに。 本当は答えも知らなければ、答えることもできないくせにね。 聖霊は、あなたよりも先に話すことはありません。 しかし、必ず答えます。 誰しも、本当に困って八方ふさがりのときなど、 一人で心の聖霊に助けを求めたことがあります。 そして、その答えはつねに与えられてきました。 これは、つねに答えは自分の中にあることを意味していますじゃよ。 自分の外側にあるかに見える幻想になど頼らなくていい、 ということですじゃ。 うんうん、まったくでしゅね! 自我の最初の質問、「自分とは何者なのか?」―― 自我自身は決して答えられない数々の質問に対しても、 聖霊の答えは明白ですじゃ。 ぜひ、心して聞いてください―― 奇跡のコース(ACIM)では、自我の掲げるすべての質問に対する 聖霊の一つの答えを聞いてほしい―― Hear, then, the one answer of the Holy Spirit to all the questions the ego raises: あなたは神の子。 神の国の欠かすことのできない極めて重要な部分。 神が、神自身の部分として創造した。 You are a child of God, a priceless part of His Kingdom, which He created as part of Him. それ以外には何も存在しない。 それだけが実在。 Nothing else exists and only this is real. Text 6 - 4 …… !! にゅおおお〜…! たしかに、自我が答えることは決して期待できない答えでしゅね…! 自我に無理に答えを求めるとしたら… せいぜいが、この世界での何らかの役割や役職や職業くらいしか 見つけることは不可能でしゅよ。 しょせん全部錯覚にすぎない役を。 自我が、「わたしたちは欠かすことのできない神自身の部分」、 要するに「神の子だ」と答えることなんて、絶対にありえない… まさに、自我の目的(この世界を美化して継続させること)に反しているしね。 もし、完全無欠の神の延長、神の子だと答えてしまったら、 あれやこれやと問題や行動すべきことがあるこの世界は、 存在する意味がなくなりますからね。 だって、完全無欠なら、もはや何もする必要はない―― ただ歓喜と幸せを甘受し続けるだけでいい―― ただあるだけで、完全無欠なのですから。 こういうことを、自我自身は知らないのでしゅね。 また、こんなことを聞こうものなら、必死になって抵抗するでしょうねぇ…。 たしかに、ボクも自我のみに頼っていたら、こういう答えを得ることは 絶対に不可能だと思うでしゅ。 この形の世界のどこに求めても、こんな答えは絶対に得られないでしゅ。 せいぜいが、この世界での役割を自分に充てつけることしかできないと 思うでしゅよ…錯覚にすぎない役割をね。 奇跡のコース(ACIM)あなたは神の子。 何物にも替えることのできない、神の国の極めて貴重な部分。 神が、神自身の部分として創造した。 You are a child of God, a priceless part of His Kingdom, which He created as part of Him. それ以外には何も存在しない。 それだけが実在。 Nothing else exists and only this is real. それでは、明白すぎるほど明白な聖霊のこの答えの続きを引用して、 終わりましょう。 奇跡のコース(ACIM)あなたは眠ることを選んでしまった上に、悪夢を見ているが、 そんな眠りは本当ではないし、神は目覚めるようにと呼びかけている。 You have chosen a sleep in which you have had bad dreams, but the sleep is not real and God calls you to awake. 神に耳を傾けるなら、あなたの夢は何も残らないだろう。 あなたは目覚めるのだから。 There will be nothing left of your dream when you hear Him, because you will awaken. 夢の中には自我を象徴するものがたくさん含まれており、 それらがあなたを混乱させてしまった。 Your dreams contain many of the ego's symbols and they have confused you. しかし、それは単に、あなたが眠っていて、知らなかったからだ。 Yet that was only because you were asleep and did not know. 目覚めたときには、自分のまわりに真理を見るので、 もはや夢など信じることはないだろう。 あなたにとって、夢は非現実なのだから。 When you wake you will see the truth around you and you will no longer believe in dreams, because they will have no reality for you. そして、神の国とそこであなたが創造したものすべてが、 あなたにとって偉大な現実となるだろう。 それらはじつに美しく、真実なのだから。 Yet the Kingdom and all that you have created there will have great reality for you, because they are beautiful and true. ![]() もうねぇ〜、ケタ外れなのでしょうね〜。 この世界のいい加減な投影の産物とは比べ物にならない、 完全無比で永遠に存続する天国の喜びは。 とんでもなく美しく、心打たれるリアルを目の前にしたら、 この世界の虚妄の価値など、ほんとにもう信じることはないでしょうね☆ 『聖霊による唯一の答え』――お話ありがとう♡
|
|||||

| アクション | ||
|
||
| ともしび茶屋全体で、最近更新(新着)された、おにゅ〜な話題だよ☆ | |||
![]() |
|
|
|
||||
|
ともしびメイド
新しいお話をありがとうございま〜す☆カッコ内の数字は参加者の数で、数字のクリックで最新のお話にジャンプできますよ♪ |
|||||||
|
うまく学べた働けた!:
聖霊のレッスン
(10)
12/1
|
|||||||
|
仙人になった!(精神世界):
聖霊の声を聞く方法
(18)
11/30
|
|||||||
|
みんなで発展した!:
神の愛と、エゴ版の愛
(9)
11/28
|
|||||||
|
仙人になった!(精神世界):
自我(エゴ)の台本「願望と錯覚」
(17)
11/27
|
|||||||
|
心身が健康になった!:
ゆるし(赦し・宥し)
(10)
11/20
|
|||||||
|
みんなで発展した!:
この世は想念の世界―与えることによって増える
(10)
11/19
|
|||||||
|
本当の自分になった!:
自分の「解釈」のパターンに気づこう☆
(11)
11/17
|
|||||||
|
仙人になった!(精神世界):
平安を本気で望むとは―錯覚の完全放棄
(13)
11/14
|
|||||||
|
うまく学べた働けた!:
愛を教え、愛を思い出す
(2)
11/13
|
|||||||
|
心身が健康になった!:
恐れを感じるなら、その幻想を自分が信じてるだけ
(13)
11/9
|
|||||||
|
心安らいだ…:
真の自己は完全無敵・決して傷つきえない
(11)
11/7
|
|||||||
|
うまく学べた働けた!:
象徴は一時的な手段・道具として活用する
(2)
11/7
|
|||||||
|
セレブになった!:
繰り返す賽の河原と餓鬼
(2)
11/6
|
|||||||
|
仙人になった!(精神世界):
投影をやめて、拡張へ
(16)
11/3
|
|||||||
|
人間関係がうまくなった!:
すべての人に完全の像をみる
(24)
10/9
|
|||||||
|
|
|||||
|
ともしびメイド
関連本「神の使者」をご既読で、そしてコースの学習意志のある方でございます。
私が投稿・参加できるアトラクションは?よろしければ、 あなたも「奇跡のコース」をごらんになってみませんか? ともしび茶屋の話題をごらんになり、コースに関心をお持ちになったみなさまのために 「奇跡のコース」本書と その関連本を集めてみました。 本か書名をクリックすると、ともしびブックスのクチコミページへ、 「情報を見る」をクリックすると Amazon.co.jp の詳細ページへ行くことができますよ♪ |
||||||
|
A Course in Miracles(奇跡のコース)
[ 情報を見る ] 「奇跡のコース」本書です。(英語) 最後の悟りの準備ができている人だけが出会い、理解することのできる、エゴと輪廻の幻想を終わらせるコース(講座)です。 1300ページを超えるコースで、ワークブック部の実践だけでも1年以上の時間が必要であり、全編の理解には一生かかるかもしれません。 真の自己である「完全な愛・一体・永遠」を受け入れるため、障害となっている偽りの自己「分離・身体・死」などの信念を取り除くことを目的としており、すべてのパラダイムを完全に逆転させます。 信念を変えることは最も簡単であると同時に、最も難しいことであるため、悟るべき時期に来ている人しか本書に関心を持つことはないと思われます。 |
|||||
関連本編(日本語のみ) |
||||||
|
神の使者 【超オススメ!】
[ 情報を見る ] 「奇跡のコース」学習者なら言わずと知れた、最高の「コース」副読本です。 コース本書よりも先に読んでもいいくらいの名著です。 まずは日本語の本からコースを学びたい方や、コース本書の理解に挫折しそうな方にもおすすめいたします。 かつてわたしたちと同じようにコースを学び、日々の赦しを実践し、無意識の罪悪感を取り除き終え、ついに神の啓示(悟り)に到達したマスターが 直接指導してくれる驚異の本です。 とくに、かつてマスター自身も体験した、コース学習者が本道から逸れてしまいがちな誘惑や陥りがちな罠、自己欺瞞についても 非常にわかりやすく訂正してくれるため、まっすぐ進むためには、これ以上なく助かるでしょう。 コース関連本はたくさんあれど、唯一正確にコースの思想を伝えています。 続編の「不死というあなたの現実」も大変感動的です。 |
|||||
|
スターピープル Vol.22
[ 情報を見る ] 「奇跡のコース」誕生の経歴、関わった人々、現在 コース関係で活躍している人の情報など、コースの背景をよりいっそう深く知りたいときに役立つ本(ムック)です。 ヘレン・シュチュクマンやビル・セッドフォードのことはもちろん、ケネス・ワープニックやゲイリー・レナード、マリアン・ウィリアムソン、果てはニール・ウォルシュのインタビューまで載っていて、好事家にはたまらない魅力のつまった一冊です。 |
|||||
|
愛への帰還
[ 情報を見る ] 上記「神の使者」が日本語化されるまでは 「奇跡のコース」を日本で紹介してくれる唯一の本でした。 内容的には、著者の主観でかなりコース本道からそれており、おすすめはいたしかねます。 しかし、非常にシンプルで、また著者の体験談により内容がわかりやすいため、コース入門用としては良書といえると思います。 |
|||||