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学習と実践 ともしび茶屋
(うまく学べた働けた!)
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| あなたは、「うまく学べた働けた!の部屋」の 『もっとも賢明な判断とは―「判断の放棄」』 という話題のテーブルにやってきたよ! | ||||
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バーテンダー
この部屋では、こんなお話がされているようです。 |
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もっとも賢明な判断とは―「判断の放棄」
08/7/4
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どうすれば判断を手放せるか?
08/7/4
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自分は何も見えていないことを認められるか
08/7/4
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ただ一つの判断、「無判断」
08/7/4
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「神の子は無辜であり、罪は実在していない」
08/7/7
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あなたが私の救い主、私があなたの救い主
08/7/13
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でっちあげの向こうに、光はずっと待っていた
08/7/13
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義憤を抱くことへの対処法
08/7/15
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うまく学べた働けた!: もっとも賢明な判断とは―「判断の放棄」 08/7/4 もっとも賢明な判断とは? あなたは賢明ですか? もし賢明なら、日々毎瞬、とくに重要な決断のとき、はたまた切羽詰ったとき、 どのような 「判断」 をする人なのでしょうか? にゅ〜ん… そうでしゅねぇ〜… やっぱ、間違いの少ない判断でしゅよね。 できうる限り、損をせず、得をする、そんな判断ではないでしゅか? 賢明な判断って。 ふむふむ。 そうですか。 それでは、「奇跡のコース(A Course in Miracles)」の 教師用マニュアル第10章から、「賢明な判断」について 参考になる言葉を聞いてみましょう。 『もっとも賢明な判断とは―「判断の放棄」』――お話ありがとう♡
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うまく学べた働けた!:
もっとも賢明な判断とは―「判断の放棄」
![]() どうすれば判断を手放せるか? How is judgement relinquished? 判断、これは錯覚の世界を維持する他の手段と同じように、この世界では完全に誤解されている。 それは実際、賢明さと混同されており、真実の代わりに使われている。 この世界では、その言葉を使って、個人は「良い」もしくは「悪い」判断ができるという。 前者を強化して後者を最小とすることが、彼らの教育の目的である。 しかしながら、こうした分類が何を意味するのか、かなりの混乱がみられる。 ある人にとっては「良い」判断が、別の人にとっては「悪い」判断ということもある。 さらには同じ人でさえ、あるときには「良い」判断としたことが、別のときには同じ行動を「悪い」判断とすることもある。 また、こうした分類を決める一貫した基準は、実際には教えられない。 いつでも生徒は、教師気取りの人が言うことに同意できないかもしれないし、その教師自身、みずから信じていることが矛盾していることもありうる。 こういう言い方からすれば、「良い」判断には、何の意味もない。 「悪い」判断も、同じことである。 Judgement, like other devices by which the world of illusions is maintained, is totally misunderstood by the world. It is actually confused with wisdom, and substitutes for truth. As the world uses the term, an individual is capable of “good” and “bad” judgement, and his education aims at strengthening the former and minimising the latter. There is, however, considerable confusion about what these categories mean. What is “good” judgement to one is “bad” judgement to another. Further, even the same person classifies the same action as showing “good” judgement at one time and “bad” judgement at another time. Nor can any consistent criteria for determining what these categories are be really taught. At any time the student may disagree with what his would-be teacher says about them, and the teacher himself may well be inconsistent in what he believes. “Good” judgement, in these terms, does not mean anything. No more does “bad”. それは、神の教師は気づく必要のあることである、 判断すべきではないというよりも、できないのだということを。 判断を手放すのは、単に最初から持っていなかったものを手放すということにすぎない。 錯覚を手放す、むしろ手放すという錯覚を持っていると言ったほうがいい。 実際、単により正直になるだけにすぎない。 判断はいつでも不可能であったことを認めて、彼はもうそれを試みようとしない。 これは犠牲ではない。 それどころか、自分が判断するというより、むしろ自分を通した判断が起こる立場に自分を置く。 したがって、こうした判断は、「良く」もなければ「悪く」もない。 それは唯一の判断、そしてあるのはたった一つの判断―― 「神の子は無辜であり、罪※1は実在していない」 訳者注 ※1 「罪」とは、この世界での犯罪のことなどではなく、最初の原因「神からの分離」のこと。 It is necessary for the teacher of God to realise, not that he should not judge, but that he cannot. In giving up judgement, he is merely giving up what he did not have. He gives up an illusion; or better, he has an illusion of giving up. He has actually merely become more honest. Recognising that judgement was always impossible for him, he no longer attempts it. This is no sacrifice. On the contrary, he puts himself in a position where judgement through him rather than by him can occur. And this judgement is neither “good” nor “bad”. It is the only judgement there is, and it is only one: “God’s Son is guiltless, and sin does not exist”. われわれのカリキュラムの目的は、この世界の学習とは異なり、普通の意味でいわれる判断は不可能だと気づくこと。 これは一つの意見ではなく、事実である。 何でも正しく判断するためには、想像も及ばないほど広範囲にわたる物事について、その過去、現在、未来におよび十分に承知しておかなければならない。 判断に何らかの関わりがある人や物事、そのすべてにどのような影響を及ぼすことになるか、すべて前もって気づいていなければならない。 その上、彼の知覚にはまったくゆがみがないことが確実でなければならない。 それなら、その判断は誰にとっても、今も将来にもまったく公正なものになるだろう。 誰がこうしたことができる立場にあるだろうか? これができると主張する者は、大げさな空想を抱いている者だけではないだろうか? The aim of our curriculum, unlike the goal of the world’s learning, is the recognition that judgement in the usual sense is impossible. This is not an opinion but a fact. In order to judge anything rightly, one would have to be fully aware of an inconceivably wide range of things; past, present and to come. One would have to recognise in advance all the effects of his judgements on everyone and everything involved in them in any way. And one would have to be certain there is no distortion in his perception, so that his judgement would be wholly fair to everyone on whom it rests now and in the future. Who is in a position to do this? Who except in grandiose fantasies would claim this for himself? あなたは今までに、判断に必要な「事実」はすべて知っていると思っていたのに間違っていたことが、何度もあったことを覚えているだろうか? こんな経験をしたことがない者などいるだろうか? あなたはただ正しいと思い込んでいて、間違っているとは少しも気づかずにいたことが、今まで何度あったか、わかるだろうか? なぜあなたは決心するときに、そんな自分勝手な根拠を選ぼうとするのだろうか? 賢明さとは、判断できることではない―― 判断を手放すことである。 では、もう一つだけ判断するといい。 それは、こういうこと―― 完璧な判断ができる誰か※2が、自分とともにあるということを。 訳者注 ※2 「完璧な判断ができる誰か」とは、言うまでもなく「神」のこと。彼は、すべての事実を知っている―― 過去、現在、未来。 彼は、判断に何らかの関わりがある人や物事、そのすべてにどんな影響があるか、すべてわかっている。 そして彼は、誰に対しても、完全に公平である。 彼の知覚は、まったくゆがみがないから。 Remember how many times you thought you knew all the “facts” you needed for judgement, and how wrong you were? Is there anyone who has not had this experience? Would you know how many times you merely thought you were right, without ever realising you were wrong? Why would you choose such an arbitrary basis for decision-making? Wisdom is not judgement; it is the relinquishment of judgement. Make then but one more judgement. It is this: There is Someone with you Whose judgement is perfect. He does know all the facts; past, present and to come. He does know all the effects of His judgement on everyone and everything involved in any way. And He is wholly fair to everyone, for there is no distortion in His perception. だから後悔なく、感謝の息とともに、判断を放棄するといい。 今こそあなたは、あまりの重さに耐えかねて、ただよろめいて倒れるしかなかった重荷から解放される。 それはすべて錯覚だった。 それだけのこと。 今、神の教師は重荷を下ろして立ち上がり、楽に歩んで行ける。 しかも、彼の得るところはそれだけではない。 気苦労が去る、何も持っていないのだから。 判断とともに手放した。 自分自身で判断する代わりに、彼の判断を信用することを選び、彼にあけわたした。 今では、何一つ間違うことはない。 彼の案内役※3は信頼できる。 訳者注 ※3 「彼の案内役」とは、聖霊(ハイヤーセルフ)のこと。そして、かつては判断してきたところで、今は祝福する。 かつてはよくそこに来ては泣いていたところで、今は笑っている。 Therefore lay judgement down, not with regret but with a sigh of gratitude. Now are you free of a burden so great that you could merely stagger and fall down beneath it. And it was all illusion. Nothing more. Now can the teacher of God rise up unburdened, and walk lightly on. Yet it is not only this that is his benefit. His sense of care is gone, for he has none. He has given it away, along with judgement. He gave himself to Him Whose judgement he has chosen now to trust, instead of his own. Now he makes no mistakes. His Guide is sure. And where he came to judge, he comes to bless. Where now he laughs, he used to come to weep. 判断を手放すのは難しいことではない。 それを持ち続けようとすることのほうがまったく難しい。 神の教師は、その損失に気づいた瞬間に、喜んで放棄する。 自分に見える醜さのすべては、判断の結果である。 目にする苦痛のすべては、判断の結果である。 さびしさと喪失感、過ぎ去る時間とつのる絶望感、不快な失望感と死の恐怖、こうしたすべては判断の結果である。 今では、これらは必要ないと知っている。 一つたりとも真実ではない。 それらの原因を手放したし、そうしたことは間違った選択の影響でしかなかったし、彼のもとから消えている。 神の教師よ、この一歩が、あなたに平安をもたらすだろう。 このことだけを望むのは、難しいことだろうか? It is not difficult to relinquish judgement. But it is difficult indeed to try to keep it. The teacher of God lays it down happily the instant he recognises its cost. All of the ugliness he sees about him is its outcome. All of the pain he looks upon is its result. All of the loneliness and sense of loss; of passing time and growing hopelessness; of sickening despair and fear of death; all these have come of it And now he knows that these things need not be. Not one is true. For he has given up their cause, and they, which never were but the effects of his mistaken choice, have fallen from him. Teacher of God, this step will bring you peace. Can it be difficult to want but this? ![]() 『どうすれば判断を手放せるか?』――お話ありがとう♡
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うまく学べた働けた!:
もっとも賢明な判断とは―「判断の放棄」
にゅふぃぃぃ〜…! 「賢明な判断」って、たくさんの情報を集めて、そんで自分の頭で ものすっごよく考えて、出すものだと思っていたでしゅよ…! それなのに、もっとも賢明な判断は、「判断を放棄すること」 だなんて…! これまた、自分勝手な解釈をしたがる人にとっては、 恐怖さえ覚える考え方でしょうね。 車の運転にたとえるなら、本当は神が運転しているとしますじゃ。 神は、過去・現在・未来・すべてのコースまで知り尽くしています。 当然、失敗するはずはありません。 ところが、自分は人間だと思い込んでいる人がしゃしゃり出て、 自分でハンドルを握りたいと言うとします。 彼は、過去と現在のほんの一部、しかも自分の知覚の範囲内しか 見えていません。 こんなのは、何も見えていない目隠し状態と同じですじゃ。 当然、失敗する可能性が出てきます。 というか、間違いなく失敗します。 実際、あなたの人生でもたくさん失敗してきたのではないですか? 「これで正しい」と思ってやったにも関わらず。 うんうん、あったあったでしゅね〜。 そのときは、「これで正しい」「これでうまくいく」と思っていたのでしゅよ。 でも、結果としてはうまくいかなかったでしゅね〜。 やっぱ、何も見えてはいないから。
それでも、ハンドルをあけわたすのが怖い人は大勢いるでしょうね。 まあ、そのように教育されてきていますから。
あとは、ハンドルをあけわたしたら、悪い人に操られるかもしれないという 疑惑もあるかもしれませんね。 わかると思いますが、ハンドルをあけわたすのは、「内なる神」にですじゃよ。
外側にいるかに見える人や組織や教本ではありません。 他人(とくに権威をふりかざす自称教師・宗教家・占い師・科学者・ヒーラーなど) にハンドルをあけわたさないように。 にゅはは、さすがにそれを勘違いする人はいないでしゅよ〜 ![]() そうですか? 『自分は何も見えていないことを認められるか』――お話ありがとう♡
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うまく学べた働けた!:
もっとも賢明な判断とは―「判断の放棄」
存在できる判断は、たった一つ―― 「神の子は無辜であり、罪(神からの分離)は実在していない」 ――なのでしゅよね。 そうですじゃ。 Aか、もしくはBか、ではなく、 「神の子は無辜であり、罪は実在していない」 しか事実はない。 だから 判断する必要がない のですじゃね。 神の子って、いわゆる神の創造物、人間も含めて、でしゅよね。 正確には、霊ですけどね。 神は、神自身と同様に完璧なものしか創造しません。 人間を霊としてみるなら、たしかに神の子。 永遠不変で、死ぬことも変化することもないですから。 もし人間を身体として見るなら、それは神の子ではありません。 すぐに変化して、病気になって、死んでしまいますからね。 身体はエゴの夢の中の登場人物で、実在していません。 神の子以外は、本当は存在すらしていないのですじゃよ。 何も判断しなくてすむのって楽でしゅよね〜♪ そうですじゃね。 判断は(「神の子は無辜であり、罪は実在していない」以外は)、 人もあなたも傷つけますじゃ。
しかも、正しい判断をしなくては!という脅迫観念によって、 気苦労が絶えないですしね。
『ただ一つの判断、「無判断」』――お話ありがとう♡
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うまく学べた働けた!:
もっとも賢明な判断とは―「判断の放棄」
「神の子は無辜であり、罪(神からの分離)は実在していない」 というと… 昨晩、夢を見たのでしゅよ。 ええ。 「自分は正しい」ぶって、その裏の動機には、不安があり、 その不安を埋めるために、「神との分離」の解決ではなく、 他人をコントロールすることで解消しようとしている人が 出てきたのでしゅよ。 本人は、自分自身の隠された動機にすら気づいていない… というか、ただただ快適だけを望んで、自分の意識上からは 臭い物にはフタをし続けている人。 うわ〜、詳細ですじゃねぇ〜。 上でじいじが挙げていた 「権威をふりかざす自称教師・宗教家・占い師・科学者・ヒーラーなど」 っていうのは、これに当てはまるでしゅよね。 他にも、自称金持ちとか、自称成功者とか? とにかく、「人や物をコントロールすること」でのみ、自分自身の不安から 逃れられると信じている人。 真の原因と解決策に取り組むのではなく、ね。 はい。 なぜか、ボクがその人のセミナーっぽいものに出席していて、 その人は、とうとうと自我の持論を展開しているわけでしゅ。 出席者の大半も、彼の言葉をうのみにしているのでしゅね。 いやあ〜、黙って聞いてはいたけど、なんとも居心地が悪くて! やっとセミナーが終わって、帰れるかな〜ってときに、 その講師は、復習だと言って、ご自分の持論を出席者に復唱して もらいたがったのでしゅよ。 わかると思うけど、聞かせるだけでなくて、自分の口からしゃべらせる ことによって、あたかも出席者自身がそう思っているように思わせる 説得のテクニックでしゅね。 で、その講師は、復唱にボクを指名してきたのでしゅよ。 ちょっと苛立っていたボクは、つい語気荒めに 「お断りします!」 って言っちゃったわけでしゅよ。 ほえほえ 言ってから、自分自身の「感情」に気づいたのでしゅね。 苛立ちによって損害をこうむっているのは他でもない「自分自身」であって、 他の誰かではないのでしゅね。 勝手に自分が苛立つことによって、損をしているのは自分自身だけでしゅ。 そうですじゃね。 なんで苛立ったのかな? って考えると、それは「義憤」でしゅよね。 自分が悪だと考える人が、無垢な一般の人々をだまそうとしている!という 義憤の怒りでしゅ。 でもでも、コースにもあるように、 「怒りはどのような形であっても決して正当化されない」 でしゅよね。 えらいっ! そうですじゃ! その怒りの対象は、人であれ物事であれ出来事であれ、形は関係なくて、 すべて「自分自身の中の恐れの象徴」にすぎないのでしゅ。 象徴として、心が外側に投影しているわけでしゅよ。 「罪がある」と感じているのは、どっか他の人ではなく、自分自身。 自分自身に罪がある、と信じているからこそ、そういう投影対象として 映し出しているわけでしゅね。 そうそう。 だからこそ、「コース」では、自分が投影した象徴をゆるすことによって、 自分自身をゆるすことを目的としているわけですじゃ。 自分自身の中に内在すると信じてきた偽りの「罪(神からの分離)がある」 という信念を解体することを目指しているわけですじゃ。 でね、そのときに頭によぎったのが、 「神の子は無辜であり、罪は実在していない」 ――でしゅよ。 もし最初から、完全にこの信念を受け入れて、外側にいるかに見える すべての人に適用していたら、その講師にも当然苛立たないわけでしゅ。 その人も、無辜であり、罪は存在していない、のでしゅから。 その気持ちでいたならば、復唱を断るにしても、 「ありがとう。 でも、せっかくですけど、ちょっと思うところがありますので、 今は遠慮させていただきますね」 ――みたいな感じでさ、穏やかに、心乱すことなく、断ることが できたと思ったのでしゅ。 そしたら、自分の感情はいっさい損害をこうむらないでしゅし。 そのとおりですじゃね。 あらかじめ、先にゆるしておく、ということですじゃ。 「コース」にもありますじゃ。 「ゆるしとは、あらかじめゆるしておくことである」、と。 たかが夢の出来事と思うかもしんないけど、夜見る夢も、昼見る夢 (一般的にはこっちが現実であると信じられている)も、どっちも 心の投影であるという点では、まったく同じなのでしゅよね。 どちらも存在していない、ただの夢。 その講師も存在していない、自分自身の「罪を信じる心」のでっちあげた ただの夢。 だったら、どっちの夢でゆるそうが、ゆるしはゆるしとして効果があった と思うのでしゅよね。 そうですじゃ。 どんな瞬間でも、コースの教えを忘れずに、瞬時に適用してゆるせるように なったなら、すばらしい速度で悟りに向かって進んでいますじゃよ。 形のレベルでは変化は見えないかもしれません。 しかし、心(原因)のレベルでは、しっかりと罪悪感が解体されています。 エゴの罪悪感は、タマネギの皮のようなものですじゃ。 1枚むいても、形のレベルでは変化は見えません。 (ときには見えることもありますが) しかし、それでもむくしかないのですじゃよ。 むいて、むいて、むいて、むいて、むいて、むいて、むいて、むいて、 むきつづけていると…… 必ずいつかは最後の一枚に到達するでしゅよね! そうですじゃ! エゴの皮をむきつづけていると、徐々に自分の中心部の光が、 皮を透けて見え始めるでしょう。 そして、光を邪魔する皮の最後の一枚をむき終わったとき… それが、「悟り(啓示)」の瞬間 ですじゃ。 ここで、終わり。完了。 たやすく無抵抗で、神のもとに引き上げられますじゃ。 もうこれ以上、幻想の旅は必要ありません。 もう二度と身体の幻想に戻ることはないでしょう。 その瞬間が、楽しみでしゅよね〜☆☆ 『「神の子は無辜であり、罪は実在していない」』――お話ありがとう♡
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うまく学べた働けた!:
もっとも賢明な判断とは―「判断の放棄」
その苛立ちを覚えた人が、あなたにとっての「救い主」 であることに、気づきましたか? え? あなたが自分自身に見るでっちあげの罪を解体するには、 「象徴」を利用する必要がある、ということですじゃ。 何でもいい、とにかく自分自身の象徴として作った「何か」を ゆるすことで、自分自身をゆるせます。 うんうん。 その「何か」、つまり象徴が…この場合は、「人」でしゅか。 それが、わたしたちが見てしまっている「幻覚」を肯定できる唯一の理由。 エゴは、あなたを幻覚に留めておくために幻覚を作りましたが… 聖霊は、エゴが作った幻覚を利用して、幻覚を解体する「方法」を 作り出しました。 それが、真のゆるし でしゅね♪ あのねぇ、ところで今日、 奇跡のコースのワークブック「レッスン78」をやっていて、感激したのでしゅよ! 奇跡のコースはどこも感激の嵐だけど、とくに感激したのでしゅよ! ワークブックは、意識からは隠されている「無意識の罪悪感」を解体している ので、意識的には効果とか、あまりわからないでしゅよね。 でも、このレッスンでは明らかに大きな解体が起きたせいか、意識的にも はっきりとした実感があったのでしゅよ☆☆ ものしゅごい解放感でしゅよね〜。 こういうの続けていると、いろんなことが見えてくるでしゅよね。 なんで昔は見えてなかったんだろう…って、ふしぎにさえ思えるでしゅよ。 聖霊の視野が身についてくると、自分だけでなく、 他の人が抱えているものも見えてくるでしょう? そうでしゅね。 とくに自分が通りすぎた場所は、よく見えるでしゅ。 Jも、人間としてすべての道を通って、最後にゴールに到達したからこそ、 わたしたちが抱えるすべてがはっきりと見えているわけですじゃ。 人を助けるには、まず自分から、でしゅねぇ〜。 他の人(象徴)がいるから、あなたは彼らをゆるして、自分の救いを 見出すことができます。 そして、あなたが救われるから、他の人を救うこともできます。 ボクたちは一体でしゅね! せっかくですから、ワークブック レッスン78 から、あなたの感激を わかちあってみましょう。 ――もちろん、「自分自身」にね。 『あなたが私の救い主、私があなたの救い主』――お話ありがとう♡
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うまく学べた働けた!:
もっとも賢明な判断とは―「判断の放棄」
神の子は、ずっとそこにいる―― 光は、ずっとそこにいる―― 救い主は、ずっとそこにいる―― ずっとずっと、時の始まるまえから、時の終わるときまで、 ずっとずっと、神につくられたままの姿で変わることなく、 聖なる光として輝きつづけていますじゃ―― あなたは、その永遠の光を、この世界に見えているでしょうか…? 見えていなかったでしゅ。 なぜ見えていなかったのか? それは、あなたが光の前に、暗い壁を置いたから。 肉の目と脳で見たために、でっちあげた「判断」と、そこから生じる 「不平不満」。 みずからそこに闇を見ることを選び、その通りに錯覚を作り上げたから。 光はその向こうでずっと輝いているにも関わらず、あなたがみずから 見ることを拒んだ…。 勝手にね、「あれは悪、これは善、あの人はダメ、この人はよし」と、 「判断」していたからでしゅね。 判断していれば、不平不満が生じるのは必然…というか、 逃れられないでしゅよね。 不平不満は、暗い壁。 あなたに真実の光を見えなくします。 光との間に、錯覚の暗い壁を作り上げて。 さて、ここからが、ワークブック レッスン 78 による瞑想の実践。 ふらふらした気持ちや、くだらない自尊心と憎悪と自己正当化に しがみついていたがる人が見ても意味ないですじゃよ。 「私は光を見るんだ!」という覚悟を決めた人だけが、 ここから先は進んでくださいね☆ まず、あなたが不平不満を抱いている人を、「一人」選びます。 誰を選びましょうか。 恐れたり、憎んでいる人。 愛していると思っているのに、腹が立って仕方がない人。 友だちだと思っているのに、ときに扱いにくかったり、苛々させられる人。 その人があるべき理想の姿でない、役目に誠実でないと思える人。 すでに、選ぶべき人は、あなたの心を横切りましたね? はい、その人でけっこうです。 一人、選びましたね? 選ぶまでは、進まないでくださいね。 それでは、これから、 あなたのものの見方を逆転させますよ。 その人は、じつは… あなたの救い主![]() ――なのです。 その人は、神の子です。 聖なる光です。 そのように見えていますか? 見えていないでしょうね。 だから、その人を選んだのですから。 あなたは、その人に、勝手な「判断」を押し付けています。 神の子として見るのではなく、その人の身体がやったことや怠ったことや 欠点や、その人と関わったことで、あなたの身体が味わった困難や苦痛、 その人が犯した間違いや罪… いかがでしょうか。 そこに、自分の「判断」があることは認識できましたか? 判断を押し付け、結果、不平不満を抱き、誰でもない自分だけが 苦しんでいることは、認識できましたか? この人が、「本当の姿」は完璧で欠けることなき神の子で、 神聖な光だとしたら、どうしましょう。 こういう風に見ようと思うなら、自分勝手な「判断」や「不平不満」は、 わきに置かなければならないことに、気づきますね? あなたが判断と不平不満を抱いているあいだは、その人の本当の姿が どのようなものであれ、関係ありません。 まったくあなたの見たい通りにしか見えないのですから。 この人が、なぜあなたの救い主なのでしょうか。 その人は、実体としては存在していません。 あなたの心の無意識の罪悪感がつくりだした「象徴」にすぎないのですから。 あなたの作り出したヴァーチャル・リアリティ映画の一登場人物。 映画のタイトルは、「自己処罰」。 あなたは、自分自身の罪悪感の象徴をゆるせます。 なぜなら、もう自分自身が苦しみたくはないから。 まだ自分自身が苦しんでいたいなら、自分が作った「象徴」を責め続け、 映画「自己処罰」を見続けてもかまいません。 …そんなことが、正気の沙汰でしょうか。 あなたは、正気です。 だから、自分自身の象徴をゆるせます。 もう一度、たずねましょう。 その人が、なぜあなたの救い主なのでしょうか? そうです、 あなた自身が自分自身をゆるせるため、 くだらない罪の映画から抜け出すために、 神が用意してくれた人 ――だからです。 神の計画の中では、かつて敵だと思っていた人こそが、 わたしたちの最大の友、救い主となります。 そのとき、あなたは自分自身を解放するだけでなく、 その人をも解放しているのです。 おたがいに、神の子としての本来の姿へと――。 見えますか? 神の子の栄輝が。 目を閉じて―― 不満の向こう側に、ずっとずっとあった永遠の光を、 今こそ、あなたの心に見せてもらうときです。 見えた光は、錯覚ではありません。 ほんのつかのまでも、あなたがつかんだ光こそが、真実―― 今日あなたは、自分ででっちあげてきた判断をわきにおいて、 その代わりに、愛の奇跡をたしかに選びました。 この世界と天国は、あなたが救われること、 そして、すべての神の子も同時に救われることを 大いなる喜びをもって、感謝しています。 そろそろ決断してもいい頃です。 今まで出会ってきた人、これから出会う人、その一人一人に救ってもらう 決断をすることです。 彼らに救い主としての役割を担ってもらえば、あなたを通して、 彼らをも救うことになるということを忘れずに―― ![]() いや〜〜、もうねっ、ほんと感激でしゅよ☆ はい、わかりますじゃ。 ちなみに、上の文章は、正確にレッスン78通りではないですじゃよ。 レッスン78を読んで、自分が感じたこと、受け取りたかったこと、 それらを文章にしただけで、文章としては別物です。 何度も申していますが、これらは自分自身が習得したいから、お話している だけのこと。 こうして心の中で消化することで、自分自身のものとしたいのですじゃね。 そのときついでに、聞く耳ある人の耳にも届けることができるなら、一石二鳥 というかね、これこそが真の意味での「シェア」ですじゃよね。 永久に無くなることなき、むしろ与えれば与えるほど増す、神に属する わがものを、一体である自分自身にわかちあっているのですから。 教師用マニュアルにも書いてあることでしゅね。 ボクは決断したでしゅよ! もう二度と、勝手にでっちあげない、判断しない、 不平不満で真実の聖なる光を隠してしまうことを選択しない、と。 今まで出会ってきた、ボク自身の不平不満の「的」となってきた人々すべてに、 心で「救い主」としての役割を担ってもらうことにする、とね♪ 『でっちあげの向こうに、光はずっと待っていた』――お話ありがとう♡
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うまく学べた働けた!:
もっとも賢明な判断とは―「判断の放棄」
今日は、これに関連して、「義憤への対処法」を掘り下げてまいりましょう。 これは、とても重要なことです。 なぜなら、小さな動揺や苛立ちから、大きな戦争やテロに至るまで、 すべてその動機は、「義憤」ですからね。 レベルの差は関係ありません、この思いをきちんと対処しておかない限り、 どんなに表面的に平和であったり仲良しであっても、ちょっとしたきっかけで 不和が噴出するのですから。 うんうん、あるでしゅね。 「まえはあんなに仲良しだったのに、どうしてそんなことに!?」 ――みたいなことは、この世界では日常茶飯事でしゅよね。 無意識の罪悪感は普段は隠れていても、ちゃんと解決したわけではないなら、 休火山が突然火を噴くごとく、予想外の争いに発展してもふしぎはないでしゅ。 まず、 「義憤」は絶対にありえないし、絶対に正当化もできない ――ということを知っていてください。 なぜなら、「怒る」ということは、その怒りの対象が実在していると、 自分自身が認めている、ということだからですじゃ。 それが現実に影響を及ぼすことが可能だと、自分自身が認めている、 ということだからですじゃ。 よろしいでしょうか。 真実に気づいていない人は、必ず「錯覚」を見ており、 それを現実として信じていますじゃよ。 どんなレベルであれ、怒りがこみ上げてくるなら、自分の罪を以前より 強く信じることになりますし、自分自身をますます非難するようになる でしょう。 ですから、まずは 「攻撃しない」 ということを覚えてください。 ここには各人、絶対的に責任をもってください。 うんうん。 もし攻撃するなら、その錯覚が現実だと、自分自身に宣言していることに なるでしゅものね。 表には出ない、「心での攻撃」でも、でしゅよ。 まあ、まず心で攻撃するから、形での攻撃が発生するのですけどね。 さて、ここで、非常〜〜に役に立つ事実をお伝えしましょう。 役に立つ事実? よろしいでしょうか。 それは、 「事実そのものに腹が立つということはありえない」 ――ということです。 ほう? いつでも、その事実を 「どう解釈するか」 で、 否定的な感情が発生したり、しなかったりします。 うんうん、たしかに――!! 「それは悪だ」と知覚して、それに腹を立てることが、 じつは、恐れの基本的な原因なのですじゃよ。 この恐れが、この世界の思考体系の中心をなしており、 社会システムまで作り上げているとは、いったい誰が気づくでしょう? 無意識の恐れをもっていて、自分たちがそれに知らず知らずコントロール されていることは、善人であるだけでは気づけないでしゅよね。 快適さと平和だけを望むのはかまわないけど、無意識の下に臭い物を 閉じ込めていても、本当の平和は達成されないでしゅ。 臭い物があることを認識して、次にそれを光のもとへ持って行き、 最後に解体することで、本当の平和は達成されるでしゅ。 ここでも、勝手な「判断癖」が、ボクたち人類を不幸にしていることが 明白でしゅ。 神の意志、神の判断は、ただ一つしかありません。 「神の子は無辜であり、罪は実在していない」 恐れや怒りを抱くなら、それ以外の判断がありえると、「あなた自身」が 信じているということ。 自分自身が、神の意志に対抗できるような「別の意志」が存在すると信じて いなければ――その別の意志が神の打倒に成功できると信じていなければ、 なぜ怒りを抱く必要があるのでしょうか? 怒るということは、自分自身の神への不信、神からの分離を信じる心に 他ならないでしゅね。 はい。 ここにこそ、罪悪感の発祥地がありますじゃ。 神の役割を簒奪して自分のものにできると信じている人には、 自分を地獄に落としかねない「敵」が現れるわけですじゃ。 もちろん、自分が勝手にでっちあげた「敵」でしゅね。 すべての戦いとは、自分自身の作り出した妄想の敵との戦いにすぎません。 自分自身の無意味な恐れと戦っているだけですじゃ。 幻覚に埋もれている人は、それが無意味だとは気づいていませんが。 もし怒りが、事実ではなくてそれを「どう解釈したか」で生じるのだと すれば、「怒って当然」というような出来事は、決して存在しないことに なりますじゃよね? そうでしゅね。 怒りをわざわざ正当化する必要などありません。 なぜなら、その怒りの対象は、もともと存在していないのですから。 自分が勝手に夢見た妄想でしゅね。 そう、妄想です。 本当は、妄想があなたを攻撃することもなければ、あなたを守ってくれる こともない。 何かを作り出すような力もない。 完全に無で、存在せず、まったく何でもないのが妄想なのですから。 「何でもない」ものとして、ただ見つめるだけでいいのです。 何でもないものが、怒りを生じさせるでしょうか? 何でもないものは、ボクに何の影響も与えることはできないでしゅよ。 ボクが勝手に「それは○○だ」と解釈を与えない限りは。 そうです。 したがって、それを見過ごせますし、本当の意味で忘れることができます。 うんうん♪ 腹を立てるということは、そこにない錯覚を認めているということであり、 しかもその怒りは、自分はその錯覚を現実だと信じているという宣言に なりますじゃ。 こうなると、もうここから逃れることは不可能となりますじゃ。 逃れる方法は、たった一つだけ―― 「自分で勝手に解釈したことを、まわりの世界に投影しておいて、 それに反応していたにすぎない」 ――ということに気づけば、話は別でしゅよね! そのとおりですじゃ♪ ボクもね、腹が立つことがあったら、このことをすぐに思い出すでしゅよ! 「これは、何でもない。 だから、ボクが反応する必要なんて、ない」 神がこの世界に反応しないのも、そういうことですじゃ。 何でもないのですから。 この世界は存在しないのですから。 そこにこそ、神の平安があります。 神にこの世界に降りて来られたら、ボクたちが帰るべき平安が なくなっちゃうでしゅよ! こんな世界を現実にされたら、困るでしゅ。 死とか病気とか争いとか、そーゆーの本当は全部存在しないからこそ、 安心していられるのでしゅから。 ボクたちのほうが、神の平安に帰らなくちゃね♪ そのための案内役(聖霊)も、ちゃんと用意されているのでしゅから☆ 『義憤を抱くことへの対処法』――お話ありがとう♡
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ともしびメイド
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うまく学べた働けた!:
聖霊のレッスン
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仙人になった!(精神世界):
聖霊の声を聞く方法
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みんなで発展した!:
神の愛と、エゴ版の愛
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仙人になった!(精神世界):
自我(エゴ)の台本「願望と錯覚」
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心身が健康になった!:
ゆるし(赦し・宥し)
(10)
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みんなで発展した!:
この世は想念の世界―与えることによって増える
(10)
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本当の自分になった!:
自分の「解釈」のパターンに気づこう☆
(11)
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仙人になった!(精神世界):
平安を本気で望むとは―錯覚の完全放棄
(13)
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うまく学べた働けた!:
愛を教え、愛を思い出す
(2)
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心身が健康になった!:
恐れを感じるなら、その幻想を自分が信じてるだけ
(13)
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心安らいだ…:
真の自己は完全無敵・決して傷つきえない
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うまく学べた働けた!:
象徴は一時的な手段・道具として活用する
(2)
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セレブになった!:
繰り返す賽の河原と餓鬼
(2)
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仙人になった!(精神世界):
投影をやめて、拡張へ
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人間関係がうまくなった!:
すべての人に完全の像をみる
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ともしびメイド
関連本「神の使者」をご既読で、そしてコースの学習意志のある方でございます。
私が投稿・参加できるアトラクションは?よろしければ、 あなたも「奇跡のコース」をごらんになってみませんか? ともしび茶屋の話題をごらんになり、コースに関心をお持ちになったみなさまのために 「奇跡のコース」本書と その関連本を集めてみました。 本か書名をクリックすると、ともしびブックスのクチコミページへ、 「情報を見る」をクリックすると Amazon.co.jp の詳細ページへ行くことができますよ♪ |
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A Course in Miracles(奇跡のコース)
[ 情報を見る ] 「奇跡のコース」本書です。(英語) 最後の悟りの準備ができている人だけが出会い、理解することのできる、エゴと輪廻の幻想を終わらせるコース(講座)です。 1300ページを超えるコースで、ワークブック部の実践だけでも1年以上の時間が必要であり、全編の理解には一生かかるかもしれません。 真の自己である「完全な愛・一体・永遠」を受け入れるため、障害となっている偽りの自己「分離・身体・死」などの信念を取り除くことを目的としており、すべてのパラダイムを完全に逆転させます。 信念を変えることは最も簡単であると同時に、最も難しいことであるため、悟るべき時期に来ている人しか本書に関心を持つことはないと思われます。 |
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関連本編(日本語のみ) |
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神の使者 【超オススメ!】
[ 情報を見る ] 「奇跡のコース」学習者なら言わずと知れた、最高の「コース」副読本です。 コース本書よりも先に読んでもいいくらいの名著です。 まずは日本語の本からコースを学びたい方や、コース本書の理解に挫折しそうな方にもおすすめいたします。 かつてわたしたちと同じようにコースを学び、日々の赦しを実践し、無意識の罪悪感を取り除き終え、ついに神の啓示(悟り)に到達したマスターが 直接指導してくれる驚異の本です。 とくに、かつてマスター自身も体験した、コース学習者が本道から逸れてしまいがちな誘惑や陥りがちな罠、自己欺瞞についても 非常にわかりやすく訂正してくれるため、まっすぐ進むためには、これ以上なく助かるでしょう。 コース関連本はたくさんあれど、唯一正確にコースの思想を伝えています。 続編の「不死というあなたの現実」も大変感動的です。 |
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スターピープル Vol.22
[ 情報を見る ] 「奇跡のコース」誕生の経歴、関わった人々、現在 コース関係で活躍している人の情報など、コースの背景をよりいっそう深く知りたいときに役立つ本(ムック)です。 ヘレン・シュチュクマンやビル・セッドフォードのことはもちろん、ケネス・ワープニックやゲイリー・レナード、マリアン・ウィリアムソン、果てはニール・ウォルシュのインタビューまで載っていて、好事家にはたまらない魅力のつまった一冊です。 |
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愛への帰還
[ 情報を見る ] 上記「神の使者」が日本語化されるまでは 「奇跡のコース」を日本で紹介してくれる唯一の本でした。 内容的には、著者の主観でかなりコース本道からそれており、おすすめはいたしかねます。 しかし、非常にシンプルで、また著者の体験談により内容がわかりやすいため、コース入門用としては良書といえると思います。 |
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聖なる愛を求めて
[ 情報を見る ] 上記「愛への帰還」と類似点の多い本です。 「奇跡のコース」の内容を 男女の愛情関係にあてはめて活用する方向で進めており、正確なコースの思想を求める人には適切とは言いがたい本です。 しかし、「愛への帰還」同様に、コース入門用としては良いかと思われます。 |
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ゆるすということ
[ 情報を見る ] 「奇跡のコース」の最大のテーマ「ゆるし」に焦点を当てた コース学習者でも充分満足できる内容です。 コースからの引用も多々あり、コース未学習者にもやさしい本です。 しかし、いかんせんページ数が少なく、密度的には満足はできないかもしれません。 あと、コースで学ぶべき「ゆるし」とは、ほんの少し方向性がずれているような気もします。 これも、あえて言うなら「コース入門用」の本です。 |
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非関連本編(日本語のみ)非関連本編は、「奇跡のコース」について直接の言及はありませんが、コースと同じ 思想が学べる、非常に有用な本です。 じつは、こちらの方が上記「関連本編」よりも有用な本が多いです。 |
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無条件の愛 【オススメ!】
[ 情報を見る ] この本は正直、驚愕いたしました。 何がと申しますと、内容の密度、高度、わかりやすさ、すべてにおいて最高レベルのバランスが取れているからです。 それもそのはず、この本は人間の著者が書いたわけではなく、コースの「声」と同じ存在と著者が同調して書かれた いわば「チャネリング」本です。(著者は、ある誤解を避けるためにチャネリングとは呼ばれたくないようですが) コース本書、「神の使者」に次ぐ 非常にハイレベルな本であり、コース学習者ならぜひ読んでおくべき必携の書かと思われます。 |
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心身の神癒(入手困難)
[ 情報を見る ] ズバリ、現代版「山上の垂訓」です。 上記「無条件の愛」と同じく、コースの「声」がそのまま語った いわばチャネリング本です。 もともと本ではなく、講演の記録を文章化したものです。 非常にハイレベルで、密度も濃く、上級のコース学習者向けの本だと思います。 ただ、翻訳が少々前時代的なため、古い本独特の言い回しが大丈夫な方におすすめします。 |
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イェシュアの手紙
[ 情報を見る ] 著者が瞑想中にイェシュアから受け取ったメッセージを、著者の体験談と織り交ぜながら紹介しています。 イェシュアの語りは、翻訳の仕方なのかどうかはわかりませんが、まるでポエムのようなノリです(笑) とても良い本だとは思いますが、コース本書の学習者なら少々物足りなさを感じるかもしれません。 「悟りは心さえ変えれば瞬時だよ」とはいえ、その心が簡単には変えられないからこそ コースのような徹底したシステマチックな講座があるわけで、この本だけで事足りることは、まずないと思われます。 お話を聞いてくださり、ありがとう♡
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