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学習と実践 ともしび茶屋
(仙人になった!(精神世界))
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| あなたは、「仙人になった!(精神世界)の部屋」の 『無条件の愛』 という話題のテーブルにやってきたよ! | ||||
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バーテンダー
この部屋では、こんなお話がされているようです。 |
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無条件の愛
08/6/5
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著者まえがき
08/6/5
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はじめに
08/6/5
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核となることがら
08/6/5
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「ゆるし」を通して自分自身の「聖性」を復帰させましょう
08/6/5
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仙人になった!(精神世界): 無条件の愛 08/6/5 ![]() 「無条件の愛 キリスト意識を鏡として」 この本、ともしびブックスにクチコミとともに 「著者まえがき」と「はじめに」の2章を引用したけど、 じつは、もう1章「核となることがら」も抜き出していた のでしゅよね〜。 とても重要なことが語られているでしゅよ。 この章も「無条件の愛 キリスト意識を鏡として」のページに 書くと長くなるから、茶屋のほうに載せるでしゅね。 読んでみて、「はうっ!!」とお思いになった方は ぜひ本書を取り寄せて、全章読んでみてね♪ でも、「はうっ!!」(笑)と思った方だけにしてね。 何も感じなかったり、まだ抵抗を感じる方には時期が早い でしゅから。 もちっとエゴとの同化を解除できてからでないと、 読んでも先入観と知覚で内容を勝手にゆがめちゃうから。 (聖書なんかが時とともにどんどん別物になっていたのと同じ) もくじ 1.著者まえがき 2.はじめに 3.核となることがら 『無条件の愛』――お話ありがとう♡
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仙人になった!(精神世界):
無条件の愛
![]() チャネリングが花盛りだが、本書がチャネリング・ブックでないことをはっきりさせておくことが大切だと思う。
本書の情報は、どこかの「エンティティ」や、聞き手の人格の一部分を分離させたような存在からやってきたのではない。 そうではなく、本書は、ひとりの聞き手が、あなたもわたしもその重要な一部である “キリストの心(マインド)” とひとつになった 結果である。 イエスを自分の心の外部の独立した存在と考えると、大切な点を見失う。 イエスが話しかけるのは、あなたの心の中においてだからである。 イエスはもっとも親しい友として、ときには言葉で、しばしば言葉を超えて、あなたに語りかける。 イエスとの交流、霊的交わりは、その教えを実践するためには欠かすことのできぬ部分だ。 ただし、イエスは、“キリストの心” の中で特権的な地位や場所を占めているのではない、ということをはっきりさせておきたい。 クリシュナ、ブッダ、モーゼ、老子、その他 もろもろの聖人が意識体として、そこで、というかもっと正確にいえば「ここで」、イエスに合流している。 ブッダやクリシュナと話すほうが落ち着けるというなら、どうかそうしてほしい。 イエスは気を悪くなさらないだろうと思う。 いや、むしろ喜ばれるはずだ。 あなたは、「非-分離」 というイエスの教えに従っているわけだから。 われわれはみな、この “キリストの心”(ブッダの心でも、ブラフマンでも、聖霊でもなんでもよいが)と交流し、交わりをもっている。 それはわれわれがみな “神の心” とひとつになっているからだ。 もしそうでなければ、われわれの経験はまったく暗黒のものとなり、回復の希望さえ見出せないだろう。 各人は、自分の無意識の闇を照らす小さな花火を持っている。 それは、神とのつながりを保たせている聖なる意識の花火だ。 この花火はわれわれを、各自の伝統の中の聖なる教師とも結びつけ、兄弟姉妹の中にある聖性とも結びつける。 イエスが本書で指摘しておられるように、ひとりびとりの中にある火花を見ることさえできれば、われわれの感じたり経験したりするすべての闇は溶け去り、いま知っているような世界は消え失せる だろう。 愛が、われわれのハートの中に、そして兄弟姉妹のハートの中に打ち立てられるからである。 “キリストの心” を体現するいかなる存在であれ、心とハートの中に愛の王国を打ち立てる 以外のことを求めているわけではない。 そもそも、それこそが唯一無二の目的である。 マハヴィールはそれを目指した。 聖フランシスコもそれを目指した。 バール・シェム・トブもそれを目指した。 ルーミーもそれを目指した。 さまざまな宗教への分化は、この世界の過去の遺物といえる。 こうした 境界は、“キリストの心” の中には存在しない し、そこでは ただひとつの目的のために、すべての存在が一堂に会している。 想像するのは難しいかもしれないが、その通りなのだ。 ユダヤ教あるいはキリスト教の伝統の中に育ったものなら、必ずイエスの生涯や教えにふれているだろう。 この教えは、キリスト教徒にもユダヤ教徒にもあてはまる。 さらにいえば無心論者、不可知論者にもあてはまる。 ユダヤ教徒は、イエスが新しくもたらした信仰を理解し、受けいれる必要がある。 そしてキリスト教徒は、イエスの 愛とゆるしの教え が、いかに恐怖心と罪悪感によってゆがめられてきたかを理解する必要がある。 無心論者は、イエスの革命的な 平等思想 を理解する必要がある。 イエスを拒否するもの、あるいは台座にのせてまつりあげるものは、どちらも彼の教えを誤解している。 だからこそ、だれもがそれを修正しなければならない。 イエスはそれぞれに、罪悪感を溶かし去り、恐怖心から抜け出す特別のメッセージを伝えてくれる。 イエスはわれわれに、キリスト教に改宗しなさいとは言わない。 キリスト教というようなものはない からである。 キリスト教といえば、それは 分離 の神話になる。 それはキリスト教をユダヤ教やイスラム教や仏教から分離する。 イエスがそんな考えを唱道するとお思いだろうか。 とんでもない。 イエスに従うものは、いかなる分離をも唱道しない。 イエスは、自分自身をもふくむすべての存在に対して、愛とゆるしを実践した。 ユダヤ教徒、イスラム教徒、ヒンズー教徒を 兄弟として受けいれた。 人を改宗させようとはせず、その信仰に深く根をおろすようにさせた。 別の道を選ぶものは、救済を拒まれるとも信じていなかった。 イエスの真の信奉者は、神は故郷への多くの道を備えておられると知っているので、その結果については心配しない。 だれでも、個人的にイエスと交わりをもつことができる。 この関係は、こちらが欲し、信頼していればひとりでにはじまる ものだ。 そこにはテクノロジーも、仰々しい祈りも、秘教的な修行も必要ない。 イエスの友情と導きを求めるシンプルかつ真正な願望があれば、それだけでよい。 イエスご自身が、われわれに権威者として君臨しようとしたのではない、ということを明らかにしておこう。 イエスは、神以外のあらゆる権威に反対 したからである。 ただ対等なものとして自分の手をとるように、そして同じような相互信頼と対等な意識をもって兄弟姉妹に手を差し伸べるように、と言われた。 イエスの教えは簡潔かもしれないが、それを実践するには、あらんかぎりの注意、あらんかぎりのエネルギー、全的な自己投入が必要となる。 すべての人と対等に出会う経験をすること、あらゆる過ちを意識化して、さらにそれをゆるすこと は、革命的な教えである。 それはわれわれの罪悪感を洗い流し、恐怖心の暗闇を通り抜けさせる。 わたしは、この執筆計画にかかりはじめて、前の本と同じくらいの 自己放棄とあけわたし を経験した。 しかし、それでも充分ではなかったかもしれない。 静かに省みれば、わたしは使えそうな素材を150ページ分ほど切り捨てたと思う。 それは、人生のこの時期に生み出すべき本ではなかったのだ。 何か新しいものが、わたしに対して求められていた。 そしてわたしも、わが師に対して、何か新しいものを求めていた。 わたしが求めていたのは、イエスとその教えに対して、こちらがどう関わっていくべきかを明らかにしてくれるような、簡潔で見通しのよい書物だった。 そして次第に明らかになったのだが、わたしがそのような本を書きたいと願ううちに、わたし、つまりポール的なものが、わきにのけられる必要のあることがわかった。 ポール的アイデンティティを洗いなおしてみる必要があった。 その信念体系、語彙を解体し、再構成する必要があった。 他人との分け隔てを感じさせるような考え を粉砕する必要があった。 こうしたことがなければ、本書は生まれなかったろう。 このプロセスを通じて、わたしはイエスについて書物で知った知識よりも、イエス自身との関係に重きをおくようになった。 わたしとはちがう信仰をもっているような多くの人々の生活の中で、イエスが生き生きとはたらいておられるのも見た。 信念体系は人々をたがいに分け隔てる。 愛の思いは結びつける。 「もしわたしの教えに従おうと思うなら、ひとつひとつの思いについても、そうしなさい。 たとえ兄弟の考えに同意できないとしても、相手を祝福しなさい」 これがつねにイエスの教えだった。 イエスはいま、それをさらに広い領域へと拡大しつつあるのだ。 本書をイエスと “キリストの心” から流れ出させることによって、わたしの生活全般に調整が起きた。 文章のスタイルや執筆のプロセスにはさほど変化がなかったが、信念体系に根底的な変化が起きた。 「分離感を起こさせるような観念」を除去する ことが、わたしの日々のスピリチュアルな実習となった。 それが完璧にできたなぞとは、とうてい言えない。 だが、その実習、およびこの本には深く感謝している。 なぜなら両方があいまって、わたしのスピリチュアルな成長の中でのひじょうに難しい一歩を進めてくれたからだ。 本書が、あなたにも、自己放免 と 非-分離 という、簡潔だが深い体験をさせてくれて、その結果あなたの人生が変わることをわたしは願っている。 このふたつこそは、イエスが地上での生涯で達成された仕事である。 そしてそれは毎瞬、毎瞬、生きていくなかで、われわれが手をさし伸ばしてイエスの助けを乞い求めるときに、イエスが勧めるやり方でもある。 最終的に人間の苦しみが終わるのは、もう苦しみはたくさんだと、われわれが合意したとき である。 各人はそれぞれの生涯において、もっとよいやりかたを模索しはじめている。 そんなときに、イエスがいまわれわれを見捨てると、あなたはお思いだろうか。 あなたのハート、わたしのハートの中にともった、せっかくの小さな火花がしぼんで弱々しくなり、恐怖心、罪悪感、苦痛の犠牲になってしまうと思うだろうか。 そんなことはありえない。 イエス、クリシュナ、ブッダ、そして 次元上昇(アセンション)したすべてのマスターは、たったひとつの祈りをささげれば、その中でわれわれをとりまいていてくれる。 その祈りは、われわれのハートの中の火花をおだやかに養い育て、恐怖心と羞恥の意識から完璧に抜け出すのを助けてくれる。 また 経験の中で窮屈にこりかたまってしまった信念や条件づけ を、聖なる啓示の光で照らし出してくれるだろう。 なぜなら、その光はわれわれの中にあるもので、呼びかければ輝かないわけにはいかないからだ。 キリストの光は、われわれすべての中にある。 それを、ともに呼び起こそうではないか。 愛の名において。 ![]() 『著者まえがき』――お話ありがとう♡
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仙人になった!(精神世界):
無条件の愛
![]() まず最初に言っておきたいのは、あなたが どのくらいコントロールを手放そうとするか に応じて、わたしはあなたを通じて語りかけられる のだということです。 その意味においては、あなたは特別な存在ではありません。 その意志のある人ならば、だれを通じても、わたしは語りかけることができます。 あなたが何を聞くかは、あなたの心の中にすでにあるものに大いに関係してきます。 わたしの声に耳を開く人は、自分の知覚や先入観に応じて、それを聞くことになります。 それは仕方のないことです。 わたしの存在への扉を開くためにはまず、わたしと 交流したいという願望が必要 です。 わたしはだれにも自分をむりに押しつけたりしません。 わたしとの関係は 自発的に、それぞれ準備ができたときに始められる べきなのです。 わたしは、あなたが望む度合いに応じて、あなたに近づきます。 それは、わたしというものが、すでにあなたの心(マインド)の中にあるひとつの思考 であるから です。 そして わたしであるものすべては、その思考から生じてきます。 わたしでないものすべてが、別の思考から生じてくるように。 このことは経験を通じてわかってくるでしょう。 わたしの代弁者だと主張する人たちがいますが、その人たちは別の声に耳を傾けているのです。 わたしの声はだれをも 非難 せず、またおどしつけもしません。 わたしの意図は 万人を祝福する こと ですから。 わたしは、あなたがたに、よくよく言っておきたいのです。 あなたがたに 罪 があるのは、自分の心の中でだけ であって、その想像上の罪悪感は滅ぼせるものであり、滅ぼすべきものだということを。 わたしの教えは簡潔です。 わたしは、罪のゆるし を教えます。 罪そのものに実体がない ことを教えます。 それがあたかも在るように見えるのは、あなたが自分は害されうる存在だと信じているから にすぎません。 あなたがたは、自分が肉体であって、その肉体に害が加われば自分に不正がなされたのだと信じます。 その信念を捨て去るのがむずかしいことは、よくわかります。 しかし、わたしが求めるのはそのことです。 あなたは肉体ではありません。 肉体は生まれて死にますが、あなたは生まれもせず、死ぬこともありません。 あなたは、制限をもった思考ではありません。 あなたを制限するあらゆる思考は、始まりと終わりをもつ肉体 です。 この肉体は、あなたの信念ののぞき眼鏡にすぎません。 密度の濃い肉体、薄い肉体がありますが、どれにも始まり、あるいは終わりがあります。 すべては、ある種の自己限定の形態 です。 わたしは、制限なき思考 です。 なぜなら、神の無限定性・不定形性の範囲にまで広がっているからです。 わたしを閉じ込めうる形態はありません。 わたしは 完璧なゆるし の中で、神とひとつになっています。 わたしは 罪なきもの です。 わたしは 悲しみなきもの です。 わたしは、自分が不当に遇されることがあるとか、あるいは自分が他人を不当に遇しうるとは信じません。 なぜなら、わたしは すべての存在は神において対等である ことを、一点の曇りもなく知っているからです。 これをあなたがたに信じてもらうのがむずかしいことはわかっています。 あなたがたが世界の中に見るものの多くが、不公正を示しているからです。 しかし、こうした不公正は、ただあなたがたの作り出したものにすぎません。 これらは、あなたがたが抱いている、真理でない観念 です。 もう、そうした考えを抱いている必要はありません。 兄弟すべてに神の愛を及ぼすことによって、それらの観念が本物でないことを示してください。 そうすることによってのみ、神の王国は地上で経験されます。 他人がやること、あるいはやらないでいることに対して、あれこれ気をまわし、心配しないでください。 自分の思考や行動を向上させることは、その当人の責任であって、あなたの責任ではありません。 自分がどう考え、どう行動するかにのみ責任をとってください。 あなたが神とともに考え、行動するなら、ひとことも言わなくても人々は感化されてゆく でしょう。 真の慈悲心は、自己責任の中にのみ見出されるもの です。 自分自身とまわりの人のために最善のことをし、あとは神にまかせておきなさい。 人のした選択にあなたが責任を感じる必要はなく、またあなたの選択も他人の責任ではありません。 しかし、あなたがたはおたがいに学ぶことができ、また学ぶべき なのです。 なぜなら、あなたの選択は、兄弟の選択とそれほどちがってはいない からです。 あなたがたは、同じような過ちを数多くおかすものです。 過ちは学びの機会 です。 過ちをおかしたといって兄弟を責めるのは、実際に自分が完全無欠でもないのに、完全無欠のふり をすること です。 前にもわたしは同じことをたずねましたが、もう一度たずねましょう。 だれがいったい最初の石を投げるのか。 (訳注: 姦通罪に問われた女が石で撃ち殺されそうになった現場に来あわせたイエスが、「あなたがたの中で罪のないものが、まず石を投げるがよい」と言ったことをさして) あなたは、心の中で兄弟をあれこれあげつらいますが、その 判断・批判 から彼を解き放つのです。 解き放つことは、愛することです。 なぜなら、それはその人を、いかなる 判断・批判をも超えた、愛 のみしか存在できないところに置くからです。 自分の思考を自在に使いこなす ことこそ、悟りへの第一歩 です。 わたしとともに歩むか、わたしに背を向けて歩み去るかは、あなたの思考の中で起きることですから。 あなたがたとちがい、わたしはつねに変わりません。 あなたがたから歩み去ることは決してありません。 つねにあなたのそばにいて、あなたがわたしに気づくのを待っています。 わたしのようになりたければ、わたしのように考えることから始めてください。 わたしのように考えたければ、あなたの抱くすべての考えをわたしの手の中においてください。 それが役に立つ考えかどうか、わたしが教えましょう。 役に立たない考えは、除き去る べきです。 これが、マインド・トレーニングのエッセンスです。 わたしたちを祝福し、真実に向かわせる考えのみを残しておくべき です。 わたしの教えは、誤った考えすべてをおびやかすものなので、かつても今もゆがめられてきています。 おびやかされた誤った考えは、わたしの教えをつかまえ、自分の目的に合う型にむりにはめこんでしまいます。 ほどなく、わたしの言ったとされる言葉が、わたしのほんとうに言った言葉の正反対になってしまいました。 ですから、よく目を覚まし、気をつけていてください。 しかし、この変形に抵抗したり、攻撃したり、無効だと証明したりしようとしないでください。 そうすれば、それを強化するだけ です。 自分の心の中でのみ、きちんと納得 していて、真実を愛し、誤りを拒絶してください。 たったひとつの誤った考えでも、それを抱く心を絶望に追いやることがあります。 しかし、たったひとつの真実の考えは、王国をふたたびよみがえらせます。 ですから賢明に、あなたの思考を選びなさい。 どう考えるべきか自信がもてないときは、そのジレンマをわたしにあずけなさい。 わたしに あけわたす ということは、この世界であなたが知っているような、いかなる種類のあけわたし、降伏ともちがっています。 世界は、あなたがあけわたしをすると、すぐさまそれを使ってあなたをコントロールしようとしますが、わたしはそれを穏やかに用いて、あなたを誤りから解き放し、真の “自己” につれもどします。 わたしのわざをするものは、あなたに対して、いまあるがままの自分自身を愛し、肯定しなさいと力づけます。 そうでないものは、あなたの欠点をあげつらい、自分たちでもって正そうとします。 そういう人たちは、あなたの救済のためだといって、あなたを自分たちに依存させます。 そうしたうそを受け入れないでください。 よく見極めるようにしてください。 この地上のだれも、あなたが 自分自身とわたしに対する信頼を通じて見出す答え よりも、素晴らしい答えを見出すことはできないのですから。 ![]() 『はじめに』――お話ありがとう♡
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仙人になった!(精神世界):
無条件の愛
![]() あなたに一番つらくあたっているのは、あなた自身 です。 あなたの兄弟姉妹も同じなのですが、あなたもまた 自分がどこか欠けていて価値がない、という基本的な感覚 に悩まされています。 自分がおそろしい失敗をおかしていて、遅かれ早かれ、権威ある人間、または抽象的なスピリチュアルな存在――たとえば神とかカルマの法則とかいったもの――によって罰せられるだろうと感じています。 自己の価値に関するこのような未解決の問題 が、具体的にあなたの状況となってあらわれている わけです。 つまり、それらを実現化させるためにここにいる、ということになります。 あなたは、自分の罪悪感を増幅させるような両親を選び、自分でその罪悪感に気づくことができるようにしました。 ですから、両親を責めてみても、じつはあなたが愛にもとづいて設定したこの状況を変えることはできません。 唯一の脱出口は、自身の罪悪感や恐怖心に根ざした信念や人間関係のパターンに気づき、その気づきを広げていくこと です。 だれか特別な人を探して、両親からは得られなかった愛をもらおうとしても、うまくいきません。 ただ圧力釜の温度をあげるだけです。 選んだ異性が、じつは関係を修復すべき親とそっくりだったと気づいても、驚くにはあたりません。 あなたは、自分自身の傷と、しっかり向き合う しかありません。 両親、伴侶、子どもは、あなた自身の癒されるべき場所を示してくれています。 あなたもまた、かれらの人生において、そういう役割をはたしています。 これは良いとか悪いとか、こうあるべきだといったさまざまの条件・制約によって成立しているこの世界の中で、だれかに無条件の愛を求めても、失敗は目に見えています。 なぜなら、兄弟姉妹のほうも自己の無価値感から行動しますから、あなたの期待するような愛は与えられませんし、あなたもまたそうです。 一番よい道は、おたがいが自分の必要とする愛への気づきを高めていくこと、自分の責任で、自分にその愛を与え始めること でしょう。 自身の傷に対して自分で愛を与えるという責任 をとらないうちは、攻撃―防御、罪悪―非難という悪循環から抜け出ることはできません。 怒り、傷つけられたという思い、裏切られた感じ、それはあたかも正当なように見えますが、おたがいのいさかいの火に油を注ぐだけでなく、自分は愛されないし、愛する能力もない、という無意識の信念をたえず強めていきます。 自分自身がどれほど自己を憎悪しているかに 気づく 必要があります。 鏡をのぞいて、そこに 自分の信じていることがそっくり映っている のがわかるまでは、まずは 日々出会うすべての兄弟姉妹を鏡として、自分が自分をどう見ているのかを知る ことができます。 この実践はとくにむずかしくはありませんが、天国への最短距離というわけではありません。 自分の見ているものは、よその人への教訓なのだと考えがち だからです。 この世界のいまわしい心理戦争からのがれるには、投影というゲームをやめる ことです。 このゲームは、自分の無意識の中の死への衝動を、それは悪いというせまい道徳倫理 で、自分の目からも覆い隠してしまいます。 皮肉に聞こえるかもしれませんが、自分は正しくて悪いのは兄弟なのだと主張しているその瞬間に、あなたは自分自身の罪悪感と劣等感を拡大している のです。 非難の悪循環から抜け出るには、非難をやめる しかありません。 ただし、覚悟してください。 苦しみの円環から抜け出ようとすると、世間からはよく言われないでしょう。 まず最初に攻撃の矢面に立たされるのは、この世界の投影ゲームに参加しない人たちです。 あなたがたがわたしの生涯から教訓を受け取るとしたら、まずはそのことです。 自分自身の恐怖心をだれかに投影せず、自分のものとして自覚する 人は、この世界のゲームをおびやかすのです。 自分自身の殺人衝動を認め、その根を自分の意識の中に探そう とする人は、社会をとりまとめている道徳倫理をおびやかします。 人間社会においては、正義があり、悪事があります。 正義をおこなう人は報われ、悪事をはたらく人は罰せられます。 つねにそのようになっていました。 わたしの教えは、この基本前提をゆるがします。 まず、ごく表面的なレベルでは、悪人は罰せられるべきだという考えに抵触します。 処罰せよという大合唱にわたしは立ち向かい、ゆるし を主張しつづけるでしょう。 より深いレベルでは、わたしの教えは、これこれの行いをしたらその人は非難されるべきだ、という考えそのものにも抵触します。 だれかが誤った行いをしたら、それは当人が誤った考えを抱いたから です。 その考えが誤りであることに 気づけば、行いを変えられます。 ですから、その人をそちらの方向に 導く ことは社会の利益になります。 しかし、もし そこに 処罰 が持ち込まれたら、その人の誤った考えにはさらに拍車がかかり、さらに 罪悪感が増し加わる でしょう。 「悪事をふたつ重ねても、ひとつの善事にはならぬ」 という言い回しを聞いたことがありますか。 これこそ、わたしの教えの中心にあるものです。 あらゆる悪事は、正しいやり方で 修正 されなければなりません。 それ以外の修正方法は、攻撃 となります。 相手の議論をねじ伏せようとしたり、まちがいだぞと言い負かそうとしても、相手は意固地になるだけ です。 それは、暴力的なやり方です。 これに対して、わたしのやり方は非暴力的です。 わたしの場合は、こうすれば問題は解決するという解答を実際に行動で見せてあげます。 それは、苦しんでいるものに対し、攻撃 ではなく、愛 をもたらします。 このやり方は、本来の目的にかなっています。 よくないこととは、罪悪感を教え、苦痛や苦しみが必要なのだととい信念を確立する こと です。 正しいこととは、愛を教え、それにあらゆる苦しみを乗り越える力があるのを示す こと です。 かんたんにいえば、正しくあればよくないことはできないし、よくない場合には正しいことはできません。 正しくあるために、正しいことを行いなさい。 愛 の感じられないやり方では、真に愛することはできません。 ほんとうに正しい人間なら、誤りを攻撃する態度 はとれません。 誤りは、もちろんなくすべきです。 しかし、すべての誤りの根源は恐怖心ですから、恐怖心の撲滅が誤りの修正につながります。 愛という反応 だけが、恐怖心を無力にできます。 信じられないのでしたら、ためしてごらんなさい。 あなたが、恐怖心を起こさせるだれか、あるいはそういう状況を愛してみれば、恐怖心は消えてしまう でしょう。 これはほんとうです。 それは、愛が恐怖心の解毒剤であるからというよりも、むしろ 恐怖心は「愛の不在」 だからです。 ですから、愛があらわれたところに、恐怖心はいすわることはできません。 あなたがたのほとんどは、恐怖心についてはかなり理解していますが、愛についてはほとんど知りません。 あなたは 神を恐怖し、わたしを恐怖し、おたがいを恐怖しています。 なぜ恐怖を抱くのですか。 それは、自分に愛される値打ちがなく、おたがいを愛する能力もないと信じているから です。 たったひとつ、この信念を変えさえすればよい のです。 人生のすべてのネガティブなものは、自分についてのこの誤った信念を脱ぎ捨てたとたんに、はがれ落ちます。 友よ、あなたは自分で考えているようなものではありません。 ネガティブな信念や行動の単なる集合体ではありません。 自分ではそう信じているでしょうが、そうではありません。 あなたはわたしと同じように、神の子です。 神の真実と善は、あなたの真実と善です。 この事実を一瞬でも受け入れるならば、あなたの人生は変容します。 この事実を一瞬でも、兄弟についても受け入れるなら、あなたがたのあいだの葛藤は終わります。 あなたが目にしているのは、自分の信念の直接の結果 です。 自分が罪深いと信じていれば、罪深い世界があらわれます。 罪深い世界は罰せられることになるでしょうし、あなたも同じ運命をこうむるでしょう。 「神はあなたを打ち倒される。 神は世界を滅ぼされる。 神が復讐される」 これらの言葉こそ、友よ、あなたの考えていること なのです。 これらは――冒涜的に聞こえるかもしれませんが――あなたがたのほうが、わたしに押しつけたばかげた考えです! 幸い、わたしにはわかっています。 これが、あなたがたが自分を痛めつけるための粗雑なやりかただということが。 こんな小手先の操作は、問題を先送りにするだけです。 そのうち、あなたも飽きてくるでしょう。 罪深いという考え方全体を、個人としてのあなた――そして集団としてのあなたがた――はやがて拒絶するようになり、故郷へ帰りたくなるでしょう。 友よ、あなたがたが完全に正直になり、責任を引き受けることになる その瞬間がくることを、わたしは確信し、喜びをもって待ち望んでいます。 あなたが、自分と兄弟の善をひとつのものとして見る日には、神からあなたをへだてるすべてのものがはがれ落ちて、あなたは輝かしい姿でわたしのわきに立つことになるでしょう。 そのとき、あなたは一点の疑いもなく、あなたを愛している神の愛を知るのです。 そのとき、あなたは “彼女” がただの一度もあなたを見捨てたことがなかった のがわかるでしょう。 たとえ、あなたが “彼女” の罰が自分にくだり、世界は破壊されるだろうという血迷った考えにとらわれていたさなかにもです。 そのとき、あなたは自分の心の創造の力を知り、そして 神と別個にではなく、神とともに創造する ことを選ぶでしょう。 ![]() 『核となることがら』――お話ありがとう♡
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仙人になった!(精神世界):
無条件の愛
いやもう〜、すばらしいっっっ!!! 「本物」のスピリチュアル本は、偽スピリチュアルや宗教への耐性も 養えるでしゅよね。 そうですじゃね。 ま、いろいろと、ありますからね。 こういうことがわかっていると、たとえば聖書を読んだとしても、 本当にイエスしゃんが言動しそうなことと、 あきらかに後から誰かが改ざんを加えた言動が、 はっきりわかるでしょ。 たとえば、寺院で悪徳商人を怒って追い払ったというエピソードとか。 イエスしゃんは、すでに「怒り」などもっていないでしゅよ。 「怒り」というのは、自分自身の内側にある罪悪感を外側に投影して、 あたかも他人が悪い〜と言いたがるエゴの欺瞞なのでしゅから。 それは、「怒り」とか「悪の存在」、「自分に味方しない勢力は滅ぼすべき」 という動機に正当な理由をもたせたいと思った、当時の支配的教会と 権力者による改ざんの例ですじゃね。 イエスしゃんは、難しいことは言っていないのでしゅよね、ほんとうは。 そう、中心的テーマは、「ゆるし」 ですじゃ! シンプルに、 「ゆるし」を通して、あなた自身の「聖性」を復帰させなさい ――と説いていますじゃよ。 自分自身が神聖でなくて、どうして他者を神聖だと思えますか? 各人、自分自身に抱く「自分像」を通してしか、世界は見れません。 自分自身を「ガラスの像」だと想像してみてくだされ。 透き通って美しく、キラキラと輝いている像なら、 それを通して見る世界は、同じように美しくキラキラと輝いているでしょう。 逆に、汚れてどす黒く、ゆがんだ像だとしたら… それを通して見える世界は、どんな風でしょうね? もう一度言いますじゃよ。 「ゆるし」を通して、あなた自身の「聖性」を復帰させなさい。 他人のことなど、一切気にしなくてよろしい。 自己欺瞞に陥らないように。 本気で他人や世界を救いたいなら、誰よりもまっ先に、 「自分自身」のことを考えるべきです。 目に映る自分自身の投影をゆるして、 自分自身の「聖性」を復帰させなさい。 そのためにこそ、おたがいに他者は存在しているのですから。 自分自身が「神の子」だという認識にはっきりと復帰したとき、 世界は自動的に変わります。 何もする必要など、まったくないのですから。 みんな、自分自身が傷つきうる、だから他人を傷つけうると 勘違いしているのでしゅよね… 他人を傷つけうるなら、当然自分も傷つきうる。 「聖性」とは程遠い「自分像」をもっているから、 その自分像を通してでしか世界を見られないから、 目に映る世界は地獄のままなのでしゅよ。 もう一度―― 「ゆるし」を通して、自分自身の「聖性」を復帰させましょう。 それが、ただひとつのメッセージです。 ![]() ![]() 無条件の愛 キリスト意識を鏡として 『「ゆるし」を通して自分自身の「聖性」を復帰させましょう』――お話ありがとう♡
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| アクション | ||
| ともしび茶屋全体で、最近更新(新着)された、おにゅ〜な話題だよ☆ | |||
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ともしびメイド
新しいお話をありがとうございま〜す☆カッコ内の数字は参加者の数で、数字のクリックで最新のお話にジャンプできますよ♪ |
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うまく学べた働けた!:
聖霊のレッスン
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仙人になった!(精神世界):
聖霊の声を聞く方法
(18)
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みんなで発展した!:
神の愛と、エゴ版の愛
(9)
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仙人になった!(精神世界):
自我(エゴ)の台本「願望と錯覚」
(17)
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心身が健康になった!:
ゆるし(赦し・宥し)
(10)
11/20
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みんなで発展した!:
この世は想念の世界―与えることによって増える
(10)
11/19
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本当の自分になった!:
自分の「解釈」のパターンに気づこう☆
(11)
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仙人になった!(精神世界):
平安を本気で望むとは―錯覚の完全放棄
(13)
11/14
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うまく学べた働けた!:
愛を教え、愛を思い出す
(2)
11/13
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心身が健康になった!:
恐れを感じるなら、その幻想を自分が信じてるだけ
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心安らいだ…:
真の自己は完全無敵・決して傷つきえない
(11)
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うまく学べた働けた!:
象徴は一時的な手段・道具として活用する
(2)
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セレブになった!:
繰り返す賽の河原と餓鬼
(2)
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仙人になった!(精神世界):
投影をやめて、拡張へ
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人間関係がうまくなった!:
すべての人に完全の像をみる
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ともしびメイド
関連本「神の使者」をご既読で、そしてコースの学習意志のある方でございます。
私が投稿・参加できるアトラクションは?よろしければ、 あなたも「奇跡のコース」をごらんになってみませんか? ともしび茶屋の話題をごらんになり、コースに関心をお持ちになったみなさまのために 「奇跡のコース」本書と その関連本を集めてみました。 本か書名をクリックすると、ともしびブックスのクチコミページへ、 「情報を見る」をクリックすると Amazon.co.jp の詳細ページへ行くことができますよ♪ |
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A Course in Miracles(奇跡のコース)
[ 情報を見る ] 「奇跡のコース」本書です。(英語) 最後の悟りの準備ができている人だけが出会い、理解することのできる、エゴと輪廻の幻想を終わらせるコース(講座)です。 1300ページを超えるコースで、ワークブック部の実践だけでも1年以上の時間が必要であり、全編の理解には一生かかるかもしれません。 真の自己である「完全な愛・一体・永遠」を受け入れるため、障害となっている偽りの自己「分離・身体・死」などの信念を取り除くことを目的としており、すべてのパラダイムを完全に逆転させます。 信念を変えることは最も簡単であると同時に、最も難しいことであるため、悟るべき時期に来ている人しか本書に関心を持つことはないと思われます。 |
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関連本編(日本語のみ) |
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神の使者 【超オススメ!】
[ 情報を見る ] 「奇跡のコース」学習者なら言わずと知れた、最高の「コース」副読本です。 コース本書よりも先に読んでもいいくらいの名著です。 まずは日本語の本からコースを学びたい方や、コース本書の理解に挫折しそうな方にもおすすめいたします。 かつてわたしたちと同じようにコースを学び、日々の赦しを実践し、無意識の罪悪感を取り除き終え、ついに神の啓示(悟り)に到達したマスターが 直接指導してくれる驚異の本です。 とくに、かつてマスター自身も体験した、コース学習者が本道から逸れてしまいがちな誘惑や陥りがちな罠、自己欺瞞についても 非常にわかりやすく訂正してくれるため、まっすぐ進むためには、これ以上なく助かるでしょう。 コース関連本はたくさんあれど、唯一正確にコースの思想を伝えています。 続編の「不死というあなたの現実」も大変感動的です。 |
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スターピープル Vol.22
[ 情報を見る ] 「奇跡のコース」誕生の経歴、関わった人々、現在 コース関係で活躍している人の情報など、コースの背景をよりいっそう深く知りたいときに役立つ本(ムック)です。 ヘレン・シュチュクマンやビル・セッドフォードのことはもちろん、ケネス・ワープニックやゲイリー・レナード、マリアン・ウィリアムソン、果てはニール・ウォルシュのインタビューまで載っていて、好事家にはたまらない魅力のつまった一冊です。 |
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愛への帰還
[ 情報を見る ] 上記「神の使者」が日本語化されるまでは 「奇跡のコース」を日本で紹介してくれる唯一の本でした。 内容的には、著者の主観でかなりコース本道からそれており、おすすめはいたしかねます。 しかし、非常にシンプルで、また著者の体験談により内容がわかりやすいため、コース入門用としては良書といえると思います。 |
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聖なる愛を求めて
[ 情報を見る ] 上記「愛への帰還」と類似点の多い本です。 「奇跡のコース」の内容を 男女の愛情関係にあてはめて活用する方向で進めており、正確なコースの思想を求める人には適切とは言いがたい本です。 しかし、「愛への帰還」同様に、コース入門用としては良いかと思われます。 |
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ゆるすということ
[ 情報を見る ] 「奇跡のコース」の最大のテーマ「ゆるし」に焦点を当てた コース学習者でも充分満足できる内容です。 コースからの引用も多々あり、コース未学習者にもやさしい本です。 しかし、いかんせんページ数が少なく、密度的には満足はできないかもしれません。 あと、コースで学ぶべき「ゆるし」とは、ほんの少し方向性がずれているような気もします。 これも、あえて言うなら「コース入門用」の本です。 |
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非関連本編(日本語のみ)非関連本編は、「奇跡のコース」について直接の言及はありませんが、コースと同じ 思想が学べる、非常に有用な本です。 じつは、こちらの方が上記「関連本編」よりも有用な本が多いです。 |
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無条件の愛 【オススメ!】
[ 情報を見る ] この本は正直、驚愕いたしました。 何がと申しますと、内容の密度、高度、わかりやすさ、すべてにおいて最高レベルのバランスが取れているからです。 それもそのはず、この本は人間の著者が書いたわけではなく、コースの「声」と同じ存在と著者が同調して書かれた いわば「チャネリング」本です。(著者は、ある誤解を避けるためにチャネリングとは呼ばれたくないようですが) コース本書、「神の使者」に次ぐ 非常にハイレベルな本であり、コース学習者ならぜひ読んでおくべき必携の書かと思われます。 |
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心身の神癒(入手困難)
[ 情報を見る ] ズバリ、現代版「山上の垂訓」です。 上記「無条件の愛」と同じく、コースの「声」がそのまま語った いわばチャネリング本です。 もともと本ではなく、講演の記録を文章化したものです。 非常にハイレベルで、密度も濃く、上級のコース学習者向けの本だと思います。 ただ、翻訳が少々前時代的なため、古い本独特の言い回しが大丈夫な方におすすめします。 |
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イェシュアの手紙
[ 情報を見る ] 著者が瞑想中にイェシュアから受け取ったメッセージを、著者の体験談と織り交ぜながら紹介しています。 イェシュアの語りは、翻訳の仕方なのかどうかはわかりませんが、まるでポエムのようなノリです(笑) とても良い本だとは思いますが、コース本書の学習者なら少々物足りなさを感じるかもしれません。 「悟りは心さえ変えれば瞬時だよ」とはいえ、その心が簡単には変えられないからこそ コースのような徹底したシステマチックな講座があるわけで、この本だけで事足りることは、まずないと思われます。 お話を聞いてくださり、ありがとう♡
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