感動のわかちあい ともしびブックス
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ともしび仙人とこうじさまが
体験をわかちあうために召喚してくれた 『無条件の愛―キリスト意識を鏡として』 (ISBN: 4931449212) が、あなたに挨拶してきたよ☆ この単行本を つくったのは、 ポールフェリーニ さん 、出版したのは、ナチュラルスピリットだそうだ。 |
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無条件の愛―キリスト意識を鏡として (単行本) 話題度:
グッモーニン☆
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この本はねぇ〜、 じつはもう何年も前に出会ってた本なのでしゅ。 「無条件の愛」 このキーワードに惹かれて、 内容も知らずにアマゾンで買ったのでしゅよ。 それはまた、どうして? 「無条件の愛」って、 じいじにとっても重要なキーワードではないでしゅか? ほほう! よくご存知ですじゃね♪ 世間一般で信じられている「愛」って、巧妙にごまかされているけど 結局のところ、個としての自分、つまり、いつでも不安な「エゴ」を 守ろうとするための 「条件つきの愛」 なのでしゅよね。 むむむっ! そ、そんな核心に切り込んじゃいますか!?? みんなも、一見「愛」に見える色々な経験を 通ってきていると思うでしゅけど… ちょっと思い出してみてね。 その愛の経験って… 特定の個人だけを愛する (家族とか恋人とか友人とかグループ内とか) 特定の条件を満たしたときだけ愛する (同じ信条のときとか、お金があるときとか、外見がよいときとか、 個としての自分に何か得をもたらすだろうと見えるとき) ――ではなかったでしゅか? むほほほほ。 ほんっと、エゴって巧妙でしゅよね〜。 「条件つきの愛」は、愛ではないのに、あたかも愛のように見せかけて、 この世界に自覚ない悲劇をばらまき続けているのでしゅから。 ほんとは、ただ不安を埋めたいだけ。 エゴと同化してて不安な者同士が 「取引」 したいだけ。 (「わたしと取引しましょう」とは言わない、「愛しています」と言う) でも、この「形の世界」には、不安を埋められる答えは、 最初から存在していない でしゅよ! エゴは、いかにもここに答えがあるかのように誘惑するけど。 多くの人は、恋人や家族やお金や地位や高級車やグルメや都会や科学や 宇宙の神秘や…挙げればきりがないその他もろもろ外側にあるモノが 不安を埋めてくれるに違いないと信じて、追いかけているでしゅけどね。 そして、苦労を重ねて手に入れた「それ」を維持するために、 またまた苦労を重ねる… それを失ったら、また不安に逆戻りだと思っているから。 苦労するから、もっともっと「なにか」を手の入れなきゃ 本当には幸せになれないと思って、さらに苦労する…。 みんなして、テレビや新聞や広告とかで 「あれを手に入れたら幸せだ」と声高に洗脳しあう…。 でもね、ボクはもう一回、別のことを言うよ。 「ここ(形の世界)には答えはない」 んだって! いやあ〜、そこまで言っちゃいますか。 「A Course in Miracles(奇跡のコース)」でも書いたでしゅよね。 ゆるしには、「真のゆるし」と「エゴ版のゆるし」があるように、 愛にも「真の愛」と「エゴ版の愛」があるわけでしゅ。 エゴ版の愛を愛だと思っているうちは、 必ずその愛は「憎しみ」との間を行ったり来たり… だってエゴの作るこの世界は、二元性の世界でしゅからね。 同じように、エゴ版の成功を成功だと思っているうちは、 必ずその成功は「敗北」との間を行ったり来たり… だってエゴの作るこの世界は、二元性の世界でしゅからね。 なぜこんなことになるのか? なぜ苦痛や悲しみとの間を延々と循環するのか? 単なる「痴話喧嘩」や「たまたま」として見過ごしてちゃ、 何もわからないでしゅよ。 それは決して愛ではない、エゴの誘惑する「偽りの愛」だから! ――ということに気づかなくちゃ。 …外側と形あるものばかり見るように構成されているこの世界で、 そのことに気づける人はほんのわずかですじゃよ。 沈黙と心に留まることほど、エゴが嫌うものはありませんから。 自分の正体が暴かれて、消滅しちゃいますから。 究極の本「A Course in Miracles(奇跡のコース)」 も出しちゃったことだし、 そろそろ、この本のことも、 みんなに知ってもらってよい時期かと 思ったのでしゅ。 じつはこの本「無条件の愛」が、 ボクが「A Course in Miracles」を知る きっかけになった本なのでしゅよ。 この本自体には、「A Course in Miracles」の「A」すら出てないけど、 あんまりにも素晴らしい本だったので、著者はどんな人だろうと思って 最後のページを見てみると、 「A Course in Miracles の講師を務めたこともある」 と書いてあったのでしゅよね。 『 A Course in Miracles…? ああ、ジャンポルスキーしゃんや海外の多くのスピリチュアルリーダーと 呼ばれる人たちが多大な影響を受けたというあの本でしゅか… 』 ――という程度のことしか知らなかったのでしゅね。 だって、日本語版、出ていないんだもん。 その後、「A Course in Miracles」関係の本で 日本語化されてる本は取り寄せて読んだでしゅよ。 うん、まあ、どれも素晴らしいのでしゅけど、 本家「A Course in Miracles」を除いては、 「神の使者」が1番いい。 「神の使者」を除いては、 この「無条件の愛」を超える 「A Course in Miracles」系の本には、 いまだに出会っていないでしゅね〜。 イエスしゃんの直接の言葉が読めるという点では、 「イェシュアの手紙」なんかも良かったのでしゅけどね。 でもでも、 この「無条件の愛」にはかなわないかなあ〜。 はい。 この本は、かつてイエスと呼ばれた存在と調和して書かれた本でしゅよ。 著者のポールしゃんは、「これはチャネリング本でない」と言っているでしゅ。 「外部の別の誰かと交信した記録ではなく、自分の内側にいる同一者」 と言っているでしゅね。 う〜ん、さすが! よくわかってらっしゃるぅ〜! じつは、ボクもイエスしゃんって、どこか遠いところにいる存在ではなくて、 もっとも身近にいる友達のような感覚を昔からもっていたのでしゅよね〜。 だから、聖書のクチコミでも書いたけど、 某宗教で祭り上げられているイエスしゃんって、なんかヘン。 ボクの心が昔から知っている友達のイエスしゃんとは別人だもん。 聖書なんて面白くもなんともないし、あんなものをありがたがって真面目に 読んでたら、頭がおかしくなるよ! って思いつつも、なんとか読破したのも、今から思えば、でっちあげのイエス しゃんには興味ないけど、「本当の」イエスしゃんはボクの友達だから! って思いが、心のどこかにあって、つまらない聖書も読破できたんだろうなって。 「神の使者」を書いたゲイリー・レナードしゃんも、 某宗教に対してはボクと同じ思いをもっていたようでしゅね。 でも、イエスしゃん自身に対しては友達だという感覚が、ずっと昔から あったんだって。 わっかるぅ〜! やっぱ、 「外部の別の誰かではなく、自分の内側にいる同一者」なのでしゅよね! イエスしゃんを祭り上げる気はないし、貶める気もない。 だって、対等の友達なんだから! ただ、一足先にマスターに到達して、望めば霊のレベルから (つまり沈黙と心を通して)いつでも語りかけてくれている、 敬愛すべき友達だけどね! この本は、愛と霊感あふれまくりですじゃね。 ですから、「本とは言語で理解するもの」という概念のステージにいる方には、 まったくおすすめできません。 少なくとも、スピリチュアル入門的な本くらいは理解できた人向けですじゃ。 エゴを手放せていない方は、まだ読むべき時期ではありません。 あと、宗教に「こだわり」をもっている方も、先入観を手放さない限り、 あなたの先入観でゆがめてしまうでしょう。 (某教徒も、アンチ教徒も同じ、ということです) イエスとは、自我を手放し、すべての人に内在しているワンネスの意識 「キリスト」を顕現させた人であって、すべての人が潜在的にキリストであり 仏陀なのですじゃよ。 あなたも、「キリスト」を顕現させれば、 「(あなたの名前)・キリスト」 ですじゃ(*´▽`)☆ (キリストというのは人名ではなく、心の状態をあらわす言葉。仏陀も同様) このあたりがクリアできている人にとっては…本書はもう… 魂がふるえるっ!! この本を紹介したくても紹介することを今までためらっていたのは、 ほんとうに素晴らしい本だから! 霊感あふれる魅力なんて、言葉では紹介できないでしょう? だって、言葉じゃないんだもん。 だから、説明のしようがないのでしゅよね〜…、にゅ〜む。 ![]() というわけで、本から相当量の文を引用するでしゅね。 文を読んでみて、すでに読むべき時期にきている方なら、 かならずや強いインスピレーションを受けると思うでしゅ。 そんな方は、ぜひぜひ本書を取り寄せてみてね! すごいから〜♪♪ ●著者まえがき ●はじめに この2章を引用するので、ちょっと長いでしゅよ〜。 ![]() 著者まえがき チャネリングが花盛りだが、本書がチャネリング・ブックでないことをはっきりさせておくことが大切だと思う。 本書の情報は、どこかの「エンティティ」や、聞き手の人格の一部分を分離させたような存在からやってきたのではない。 そうではなく、本書は、ひとりの聞き手が、あなたもわたしもその重要な一部である “キリストの心(マインド)” とひとつになった結果である。 イエスを自分の心の外部の独立した存在と考えると、大切な点を見失う。 イエスが話しかけるのは、あなたの心の中においてだからである。 イエスはもっとも親しい友として、ときには言葉で、しばしば言葉を超えて、あなたに語りかける。 イエスとの交流、霊的交わりは、その教えを実践するためには欠かすことのできぬ部分だ。 ただし、イエスは、“キリストの心” の中で特権的な地位や場所を占めているのではない、ということをはっきりさせておきたい。 クリシュナ、ブッダ、モーゼ、老子、その他もろもろの聖人が意識体として、そこで、というかもっと正確にいえば「ここで」、イエスに合流している。 ブッダやクリシュナと話すほうが落ち着けるというなら、どうかそうしてほしい。 イエスは気を悪くなさらないだろうと思う。 いや、むしろ喜ばれるはずだ。 あなたは、「非-分離」というイエスの教えに従っているわけだから。 われわれはみな、この “キリストの心”(ブッダの心でも、ブラフマンでも、聖霊でもなんでもよいが)と交流し、交わりをもっている。 それはわれわれがみな “神の心” とひとつになっているからだ。 もしそうでなければ、われわれの経験はまったく暗黒のものとなり、回復の希望さえ見出せないだろう。 各人は、自分の無意識の闇を照らす小さな花火を持っている。 それは、神とのつながりを保たせている聖なる意識の花火だ。 この花火はわれわれを、各自の伝統の中の聖なる教師とも結びつけ、兄弟姉妹の中にある聖性とも結びつける。 イエスが本書で指摘しておられるように、ひとりびとりの中にある火花を見ることさえできれば、われわれの感じたり経験したりするすべての闇は溶け去り、いま知っているような世界は消え失せるだろう。 愛が、われわれのハートの中に、そして兄弟姉妹のハートの中に打ち立てられるからである。 “キリストの心” を体現するいかなる存在であれ、心とハートの中に愛の王国を打ち立てる以外のことを求めているわけではない。 そもそも、それこそが唯一無二の目的である。 マハヴィールはそれを目指した。 聖フランシスコもそれを目指した。 バール・シェム・トブもそれを目指した。 ルーミーもそれを目指した。 さまざまな宗教への分化は、この世界の過去の遺物といえる。 こうした境界は、“キリストの心” の中には存在しないし、そこではただひとつの目的のために、すべての存在が一堂に会している。 想像するのは難しいかもしれないが、その通りなのだ。 ユダヤ教あるいはキリスト教の伝統の中に育ったものなら、必ずイエスの生涯や教えにふれているだろう。 この教えは、キリスト教徒にもユダヤ教徒にもあてはまる。 さらにいえば無心論者、不可知論者にもあてはまる。 ユダヤ教徒は、イエスが新しくもたらした信仰を理解し、受けいれる必要がある。 そしてキリスト教徒は、イエスの愛とゆるしの教えが、いかに恐怖心と罪悪感によってゆがめられてきたかを理解する必要がある。 無心論者は、イエスの革命的な平等思想を理解する必要がある。 イエスを拒否するもの、あるいは台座にのせてまつりあげるものは、どちらも彼の教えを誤解している。 だからこそ、だれもがそれを修正しなければならない。 イエスはそれぞれに、罪悪感を溶かし去り、恐怖心から抜け出す特別のメッセージを伝えてくれる。 イエスはわれわれに、キリスト教に改宗しなさいとは言わない。 キリスト教というようなものはないからである。 キリスト教といえば、それは分離の神話になる。 それはキリスト教をユダヤ教やイスラム教や仏教から分離する。 イエスがそんな考えを唱道するとお思いだろうか。 とんでもない。 イエスに従うものは、いかなる分離をも唱道しない。 イエスは、自分自身をもふくむすべての存在に対して、愛とゆるしを実践した。 ユダヤ教徒、イスラム教徒、ヒンズー教徒を兄弟として受けいれた。 人を改宗させようとはせず、その信仰に深く根をおろすようにさせた。 別の道を選ぶものは、救済を拒まれるとも信じていなかった。 イエスの真の信奉者は、神は故郷への多くの道を備えておられると知っているので、その結果については心配しない。 だれでも、個人的にイエスと交わりをもつことができる。 この関係は、こちらが欲し、信頼していればひとりでにはじまるものだ。 そこにはテクノロジーも、仰々しい祈りも、秘教的な修行も必要ない。 イエスの友情と導きを求めるシンプルかつ真正な願望があれば、それだけでよい。 イエスご自身が、われわれに権威者として君臨しようとしたのではない、ということを明らかにしておこう。 イエスは、神以外のあらゆる権威に反対したからである。 ただ対等なものとして自分の手をとるように、そして同じような相互信頼と対等な意識をもって兄弟姉妹に手を差し伸べるように、と言われた。 イエスの教えは簡潔かもしれないが、それを実践するには、あらんかぎりの注意、あらんかぎりのエネルギー、全的な自己投入が必要となる。 すべての人と対等に出会う経験をすること、あらゆる過ちを意識化して、さらにそれをゆるすことは、革命的な教えである。 それはわれわれの罪悪感を洗い流し、恐怖心の暗闇を通り抜けさせる。 わたしは、この執筆計画にかかりはじめて、前の本と同じくらいの自己放棄とあけわたしを経験した。 しかし、それでも充分ではなかったかもしれない。 静かに省みれば、わたしは使えそうな素材を150ページ分ほど切り捨てたと思う。 それは、人生のこの時期に生み出すべき本ではなかったのだ。 何か新しいものが、わたしに対して求められていた。 そしてわたしも、わが師に対して、何か新しいものを求めていた。 わたしが求めていたのは、イエスとその教えに対して、こちらがどう関わっていくべきかを明らかにしてくれるような、簡潔で見通しのよい書物だった。 そして次第に明らかになったのだが、わたしがそのような本を書きたいと願ううちに、わたし、つまりポール的なものが、わきにのけられる必要のあることがわかった。 ポール的アイデンティティを洗いなおしてみる必要があった。 その信念体系、語彙を解体し、再構成する必要があった。 他人との分け隔てを感じさせるような考えを粉砕する必要があった。 こうしたことがなければ、本書は生まれなかったろう。 このプロセスを通じて、わたしはイエスについて書物で知った知識よりも、イエス自身との関係に重きをおくようになった。 わたしとはちがう信仰をもっているような多くの人々の生活の中で、イエスが生き生きとはたらいておられるのも見た。 信念体系は人々をたがいに分け隔てる。 愛の思いは結びつける。 「もしわたしの教えに従おうと思うなら、ひとつひとつの思いについても、そうしなさい。 たとえ兄弟の考えに同意できないとしても、相手を祝福しなさい」 これがつねにイエスの教えだった。 イエスはいま、それをさらに広い領域へと拡大しつつあるのだ。 本書をイエスと “キリストの心” から流れ出させることによって、わたしの生活全般に調整が起きた。 文章のスタイルや執筆のプロセスにはさほど変化がなかったが、信念体系に根底的な変化が起きた。 「分離感を起こさせるような観念」を除去することが、わたしの日々のスピリチュアルな実習となった。 それが完璧にできたなぞとは、とうてい言えない。 だが、その実習、およびこの本には深く感謝している。 なぜなら両方があいまって、わたしのスピリチュアルな成長の中でのひじょうに難しい一歩を進めてくれたからだ。 本書が、あなたにも、自己放免と非-分離という、簡潔だが深い体験をさせてくれて、その結果あなたの人生が変わることをわたしは願っている。 このふたつこそは、イエスが地上での生涯で達成された仕事である。 そしてそれは毎瞬、毎瞬、生きていくなかで、われわれが手をさし伸ばしてイエスの助けを乞い求めるときに、イエスが勧めるやり方でもある。 最終的に人間の苦しみが終わるのは、もう苦しみはたくさんだと、われわれが合意したときである。 各人はそれぞれの生涯において、もっとよいやりかたを模索しはじめている。 そんなときに、イエスがいまわれわれを見捨てると、あなたはお思いだろうか。 あなたのハート、わたしのハートの中にともった、せっかくの小さな火花がしぼんで弱々しくなり、恐怖心、罪悪感、苦痛の犠牲になってしまうと思うだろうか。 そんなことはありえない。 イエス、クリシュナ、ブッダ、そして次元上昇(アセンション)したすべてのマスターは、たったひとつの祈りをささげれば、その中でわれわれをとりまいていてくれる。 その祈りは、われわれのハートの中の火花をおだやかに養い育て、恐怖心と羞恥の意識から完璧に抜け出すのを助けてくれる。 また経験の中で窮屈にこりかたまってしまった信念や条件づけを、聖なる啓示の光で照らし出してくれるだろう。 なぜなら、その光はわれわれの中にあるもので、呼びかければ輝かないわけにはいかないからだ。 キリストの光は、われわれすべての中にある。 それを、ともに呼び起こそうではないか。 愛の名において。 ![]() はじめに (ここから本編――キリスト意識による語り) まず最初に言っておきたいのは、あなたがどのくらいコントロールを手放そうとするかに応じて、わたしはあなたを通じて語りかけられるのだということです。 その意味においては、あなたは特別な存在ではありません。 その意志のある人ならば、だれを通じても、わたしは語りかけることができます。 あなたが何を聞くかは、あなたの心の中にすでにあるものに大いに関係してきます。 わたしの声に耳を開く人は、自分の知覚や先入観に応じて、それを聞くことになります。 それは仕方のないことです。 わたしの存在への扉を開くためにはまず、わたしと交流したいという願望が必要です。 わたしはだれにも自分をむりに押しつけたりしません。 わたしとの関係は自発的に、それぞれ準備ができたときに始められるべきなのです。 わたしは、あなたが望む度合いに応じて、あなたに近づきます。 それは、わたしというものが、すでにあなたの心(マインド)の中にあるひとつの思考であるからです。 そしてわたしであるものすべては、その思考から生じてきます。 わたしでないものすべてが、別の思考から生じてくるように。 このことは経験を通じてわかってくるでしょう。 わたしの代弁者だと主張する人たちがいますが、その人たちは別の声に耳を傾けているのです。 わたしの声はだれをも非難せず、またおどしつけもしません。 わたしの意図は万人を祝福することですから。 わたしは、あなたがたに、よくよく言っておきたいのです。 あなたがたに罪があるのは、自分の心の中でだけであって、その想像上の罪悪感は滅ぼせるものであり、滅ぼすべきものだということを。 わたしの教えは簡潔です。 わたしは、罪のゆるしを教えます。 罪そのものに実体がないことを教えます。 それがあたかも在るように見えるのは、あなたが自分は害されうる存在だと信じているからにすぎません。 あなたがたは、自分が肉体であって、その肉体に害が加われば自分に不正がなされたのだと信じます。 その信念を捨て去るのがむずかしいことは、よくわかります。 しかし、わたしが求めるのはそのことです。 あなたは肉体ではありません。 肉体は生まれて死にますが、あなたは生まれもせず、死ぬこともありません。 あなたは、制限をもった思考ではありません。 あなたを制限するあらゆる思考は、始まりと終わりをもつ肉体です。 この肉体は、あなたの信念ののぞき眼鏡にすぎません。 密度の濃い肉体、薄い肉体がありますが、どれにも始まり、あるいは終わりがあります。 すべては、ある種の自己限定の形態です。 わたしは、制限なき思考です。 なぜなら、神の無限定性・不定形性の範囲にまで広がっているからです。 わたしを閉じ込めうる形態はありません。 わたしは完璧なゆるしの中で、神とひとつになっています。 わたしは罪なきものです。 わたしは悲しみなきものです。 わたしは、自分が不当に遇されることがあるとか、あるいは自分が他人を不当に遇しうるとは信じません。 なぜなら、わたしはすべての存在は神において対等であることを、一点の曇りもなく知っているからです。 これをあなたがたに信じてもらうのがむずかしいことはわかっています。 あなたがたが世界の中に見るものの多くが、不公正を示しているからです。 しかし、こうした不公正は、ただあなたがたの作り出したものにすぎません。 これらは、あなたがたが抱いている、真理でない観念です。 もう、そうした考えを抱いている必要はありません。 兄弟すべてに神の愛を及ぼすことによって、それらの観念が本物でないことを示してください。 そうすることによってのみ、神の王国は地上で経験されます。 他人がやること、あるいはやらないでいることに対して、あれこれ気をまわし、心配しないでください。 自分の思考や行動を向上させることは、その当人の責任であって、あなたの責任ではありません。 自分がどう考え、どう行動するかにのみ責任をとってください。 あなたが神とともに考え、行動するなら、ひとことも言わなくても人々は感化されてゆくでしょう。 真の慈悲心は、自己責任の中にのみ見出されるものです。 自分自身とまわりの人のために最善のことをし、あとは神にまかせておきなさい。 人のした選択にあなたが責任を感じる必要はなく、またあなたの選択も他人の責任ではありません。 しかし、あなたがたはおたがいに学ぶことができ、また学ぶべきなのです。 なぜなら、あなたの選択は、兄弟の選択とそれほどちがってはいないからです。 あなたがたは、同じような過ちを数多くおかすものです。 過ちは学びの機会です。 過ちをおかしたといって兄弟を責めるのは、実際に自分が完全無欠でもないのに、完全無欠のふりをすることです。 前にもわたしは同じことをたずねましたが、もう一度たずねましょう。 だれがいったい最初の石を投げるのか。 (訳注: 姦通罪に問われた女が石で撃ち殺されそうになった現場に来あわせたイエスが、「あなたがたの中で罪のないものが、まず石を投げるがよい」と言ったことをさして) あなたは、心の中で兄弟をあれこれあげつらいますが、その判断・批判から彼を解き放つのです。 解き放つことは、愛することです。 なぜなら、それはその人を、いかなる判断・批判をも超えた、愛のみしか存在できないところに置くからです。 自分の思考を自在に使いこなすことこそ、悟りへの第一歩です。 わたしとともに歩むか、わたしに背を向けて歩み去るかは、あなたの思考の中で起きることですから。 あなたがたとちがい、わたしはつねに変わりません。 あなたがたから歩み去ることは決してありません。 つねにあなたのそばにいて、あなたがわたしに気づくのを待っています。 わたしのようになりたければ、わたしのように考えることから始めてください。 わたしのように考えたければ、あなたの抱くすべての考えをわたしの手の中においてください。 それが役に立つ考えかどうか、わたしが教えましょう。 役に立たない考えは、除き去るべきです。 これが、マインド・トレーニングのエッセンスです。 わたしたちを祝福し、真実に向かわせる考えのみを残しておくべきです。 わたしの教えは、誤った考えすべてをおびやかすものなので、かつても今もゆがめられてきています。 おびやかされた誤った考えは、わたしの教えをつかまえ、自分の目的に合う型にむりにはめこんでしまいます。 ほどなく、わたしの言ったとされる言葉が、わたしのほんとうに言った言葉の正反対になってしまいました。 ですから、よく目を覚まし、気をつけていてください。 しかし、この変形に抵抗したり、攻撃したり、無効だと証明したりしようとしないでください。 そうすれば、それを強化するだけです。 自分の心の中でのみ、きちんと納得していて、真実を愛し、誤りを拒絶してください。 たったひとつの誤った考えでも、それを抱く心を絶望に追いやることがあります。 しかし、たったひとつの真実の考えは、王国をふたたびよみがえらせます。 ですから賢明に、あなたの思考を選びなさい。 どう考えるべきか自信がもてないときは、そのジレンマをわたしにあずけなさい。 わたしにあけわたすということは、この世界であなたが知っているような、いかなる種類のあけわたし、降伏ともちがっています。 世界は、あなたがあけわたしをすると、すぐさまそれを使ってあなたをコントロールしようとしますが、わたしはそれを穏やかに用いて、あなたを誤りから解き放し、真の “自己” につれもどします。 わたしのわざをするものは、あなたに対して、いまあるがままの自分自身を愛し、肯定しなさいと力づけます。 そうでないものは、あなたの欠点をあげつらい、自分たちでもって正そうとします。 そういう人たちは、あなたの救済のためだといって、あなたを自分たちに依存させます。 そうしたうそを受け入れないでください。 よく見極めるようにしてください。 この地上のだれも、あなたが自分自身とわたしに対する信頼を通じて見出す答えよりも、素晴らしい答えを見出すことはできないのですから。 ![]() お話ありがとう♡
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ボケ役の老人(300歳)とツッコミ役のうさぎ(3歳)。 |
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ともしび仙人
お耳を傾けてくださった あなたにも、感謝いたします☆ |
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| 『無条件の愛―キリスト意識を鏡として』 や その体験に対するコメントだよ☆ コメントに参加したいときは、冒険者登録 をしてね♪ | |||
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お久しぶりです。
しばらくログアウトしていたみたいで、書き込みできないものだと思っていました。 先日、ひなたさんが書き込みしているのを見て、あれ、できるんだ、と気づいたのです。 ひなたさん、ありがとう! そして、ともしび仙人さま、こうじうさぎちゃん。 いいシェアをありがとうございます。 私がともしびワールドに出会ったのも「無条件の愛」がきっかけでした。 言葉にすると違う意味になってしまいそうだけど、最近、その・・・なんか、分かってきたというか、感じてきたというか。 「自分の内側にいる同一者」っていうのを。 自分が自分であることを許して認めて、本体?が喜んでいるみたいです。 温かくて、心地よくて、不安や心配は何もなくて、ただ静かに光に包まれてるような。 お話ありがとう♡
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ほこしゃん、こんちはでしゅ! さすが、「無条件の愛」というキーワードにピン!とこられましたか! ええ、お話はうかがっていましたが。 「愛」って、無条件以外は、愛ではないのですじゃよね。 ですから、特定の個人だけとか、特定の形だけとか、特定の条件を 満たしたときだけの愛しか存在しない「この世界」で愛と言われている ものは、すべて偽り。 愛には、半分だけ愛するとか、そんなものはありません。 愛するか、愛さないか。 本当は、個人(肉体)などなく、 「たった一つの霊」しか実在しないのだとしたら、 「愛するか、愛さないかしかない」わけですじゃ。 ――自分自身をね。
ありがとうございます♪ ほこどのの本当の平安を感じられて、じいも嬉しく思いますじゃ。 おわかりと思いますが、わたしたちは本当は別々の存在ではなく、 「一つの霊」ですからね。 最終的には、言葉などいらないのですじゃよ。 言葉は、あくまでも「はしご」。 目標に到達してしまえば、はしごはもう必要なくなります。 無条件の愛が本当にわかったときだけ、 「聖なる関係」と呼ばれる神の同胞としての一切の分割や 排他性のない関係が、この世界においても実現できますじゃ。 すべての人々、すべての物事、すべての状況… すべての中に、自分自身の本来の姿(聖性)が映し出されるの ですから☆ お話ありがとう♡
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ああ、そうそう。
これについて、一応ちょっと補足しておきましょうね。 よく極端な解釈がなされやすい部分でもありますから。 たしかに、この形の、幻の世界には「答え」はありません。 じゃあということで、禁欲に走ったり、自分の身体をいじめてみたり、 そうしたら神が体験できるのかと、そういう極端な解釈をする方が いらっしゃいます。 禅の苦行僧とか、禁欲的キリスト教とか、色々あるでしゅね。 彼らは、なんっか暗いのでしゅよね〜、 顔から苦渋がにじみ出ているでしゅよ(笑) もちろん本人が好きでやってるんだから、いいでしゅけどね。 何かを拒絶することは、それが存在していると、 強く認識しているからですじゃ。 否定すれば否定するほど、それは強く居座るでしょう。 形を否定する必要はありません。 ただ、「心理的執着」を手放す、ということです。 形あるものが来るなら来ればいい、 形あるものが去るなら去ればいい、 それにまったく執着しない、という意味ですじゃ。 じいも、形の富、色々楽しんでいますじゃ。 でも、それにまったく執着していない、ということです。 それは、形の富は、しょせん二元性の幻にすぎないと 認識しているからなのですじゃね。 幻が来たり去ったり、 そんなことで一喜一憂して心を乱してどうするのでしょう? 形は楽しめばいい、 でも、それに縛られないように。 縛られるなら、あなたは幻にコントロールされることになります。 形のレベルは、どうでもいいんです。 重要ではないんです。 本当のリアルは、そんなところにはないのですから。 これがわかっていれば、 心の空虚感や不安を埋めるべく、あれやこれやと幻を追いかけて、 いっそう空虚感や不安を増幅させようとするエゴの罠を見抜いて、 「真の平安」に脱出できますじゃよ ![]() 理解できる方には、ご参考までに。 お話ありがとう♡
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はじめまして。
私もともしびワールドでACIMを教えていただき、 現在『無条件の愛』『神の使者』『不死という』を読み終えています。 とくに『無条件の愛』が一番お気に入りで毎日毎日読んでます。 ともしびワールドではいつも素敵なものを与えていただいて感謝感謝です。一言お礼が言いたくて投稿しました。 書き込み等かなり苦手なもので、なかなか投稿やコメント参加もできませんが、 これからも一緒に学ばせていただきたいと思ってます。 どうぞよろしくおねがいします
お話ありがとう♡
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キッドさま
こんにちは。 一緒に学ぶ人が増えて嬉しいです。 投稿が苦手とのこと、私も最初恐る恐る参加したのを 思い出しました。 勇気に感謝します。 これからもよろしくお願いします。
お話ありがとう♡
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| 『無条件の愛―キリスト意識を鏡として』 を体験した村人も その想いをわかちあってくれているよ! | |||
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村人
聖書が唯一絶対と教わってきた身としては、イエスのチャネリングというのは抵抗のある部分でした。
しかし、内容は確実で、無駄がなく、実際的だと感じました。 心が痛くて仕方がないときに書いてあるとおりに実践してみると、確かな効き目(?)で癒されました。 カウンセリングなどのまわりくださがなく、いいからやってみなと試してみる価値のあるヒーリング。 深い癒しの真髄が驚くほどシンプルな方法で書かれている。 こりゃーすごい!と目からウロコ。 ここに書かれてある情報のすごさは理解出来る人にとってはダイアモンドだけど、読む準備のできてない人には読めない本かも。 本気で苦しい人、本気で人間を知りたい人にはおすすめ。 確実に前に進めてくれます。 翻訳の一部表現がリズムを崩してしまっていたのが残念ですが、内容の純度は残っていると思います。 お話を聞いてくださり、ありがとう♡
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村人
書店でこの本を見つけて
表紙の顔の絵に抵抗を感じました。 事情により、手放すことになったんで焦って 再読しております。 キリストの顔の絵は忘れて内容を読んでいると E・キューブラー・ロスの「今まで読んだ中でもっとも大切な本」と 聖書まで持ち出して書いている帯の文章に納得できます。 知らない著者、初めての出版社の本を読むのは勇気が必要ですけれど、 心理学(カウンセリング、交流分析他)、宗教(キリスト教を含む)などをある程度 かじられた人には この本の内容がごく当然、常識的、広い意味で真実であると 感じられると思います。 特定宗教の教義の本ではありません。 アダルト・チルドレン(というのか)、依存症傾向の人にも 良いかもしれません。 ただ、このカバーのキリスト(なのか?)を連想させる 顔の絵だけは、原書にあるのかどうか知りませんが、 日本人には危ない感じを抱かせるような気がするなあ。 クリシュナムルティやエックハルト・トールの本より 私には、表現や文章がわかりやすい感じがしますが、 さて、一読された方々の感想はどうでしょう。 (聖書の言葉や内容、特にヨハネ福音書のキリストの言葉を ご存知ないと少し不利かもしれませんが、 どなたにも意味深い内容だと思います) 私の感じでは、決して 危ない本ではありません(お勧め本です)が、 各々の自由な判断でどうぞ。 そのままのあなたで愛されている、 そのことを認めてほしい、 あなたは見捨てられていない、責められていない、 大丈夫、あなたはどんなときも私とつながっている、 そういう気づきを深めること、 (と私が印象を書いてしまうと、怪しい感じになってしまう) ともあれ、おすすめです。 お話を聞いてくださり、ありがとう♡
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村人
この本の根底に流れているエネルギーそのものが、無条件の愛です。
私たちは、親から、学校から、社会から条件づけの愛を受け取って生きてきました。 そして、親たちも、先生たちも、上司も・・みんな条件付けの愛を引き継いで生きてきた。 この連鎖を食い止め、私たちの子供たちを救うために、いまできること。 それは、まず、自分自身を無条件に愛すること。 犯罪を犯す人たちに、一番必要なのは、罰ではなく、癒し・・という部分に共感した。 神は、人間を罰したりしない。 罪悪感を作ってしまった・・私たちの唯一の罪。 それを癒すのは、みずからの愛そのもの。 宗教が教えてくれなかった、神の愛の真髄が、ここにはあります。 お話を聞いてくださり、ありがとう♡
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村人
タイトルに惹かれて購入しました。
まだ一度通読しただけですが、何度も読み込んで自分のものにしてみたいと思わせる筆致は、すばらしいと感じました。 タイトルを見ただけでは「無条件の愛を『与える』には?」を説いているのかと思えます。 最後に行き着く先はそのとおりですが、そのために必要なことがあるというのです。 それは、 ★自分自身をゆるすこと ★怖れを認め、その向こう側へゆき、手放すこと ★本当の自分を認め、受け入れること といったふうに、「自分自身を無条件に愛すること」です。 それができるようになってはじめて、他者への「無条件の愛」が備わり、与えられるようになるというのです。 どこまで自分は、自分のことを受け入れているだろうか。 いいところも悪いところも、共に認めているだろうか。 自分の心の中を見つめ直す、いいきっかけをもらえたような気がします。 お話を聞いてくださり、ありがとう♡
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村人
チェネリング本はあまり好きでは無かったのですが、知人の勧めで購入しました。
これは、キリストが本当に人々に伝えたかったことがシンプルに凝縮されています。 何度も繰り返して読むことで、活かせる本です。 実生活の中で、外側に原因を向けがちな私に自分の内面と向き合う ことの大切さを教えてくれました。 ポジティブシンキング的でない所が 良いです。 お話を聞いてくださり、ありがとう♡
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ともしびメイド
「奇跡のコース」本書と その関連本を集めてみました。 本か書名をクリックすると、ともしびブックスのクチコミページへ、 「情報を見る」をクリックすると Amazon.co.jp の詳細ページへ行くことができますよ♪ |
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A Course in Miracles(奇跡のコース)
[ 情報を見る ] 「奇跡のコース」本書です。(英語) 最後の悟りの準備ができている人だけが出会い、理解することのできる、エゴと輪廻の幻想を終わらせるコース(講座)です。 1300ページを超えるコースで、ワークブック部の実践だけでも1年以上の時間が必要であり、全編の理解には一生かかるかもしれません。 真の自己である「完全な愛・一体・永遠」を受け入れるため、障害となっている偽りの自己「分離・身体・死」などの信念を取り除くことを目的としており、すべてのパラダイムを完全に逆転させます。 信念を変えることは最も簡単であると同時に、最も難しいことであるため、悟るべき時期に来ている人しか本書に関心を持つことはないと思われます。 |
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関連本編(日本語のみ) |
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神の使者 【超オススメ!】
[ 情報を見る ] 「奇跡のコース」学習者なら言わずと知れた、最高の「コース」副読本です。 コース本書よりも先に読んでもいいくらいの名著です。 まずは日本語の本からコースを学びたい方や、コース本書の理解に挫折しそうな方にもおすすめいたします。 かつてわたしたちと同じようにコースを学び、日々の赦しを実践し、無意識の罪悪感を取り除き終え、ついに神の啓示(悟り)に到達したマスターが 直接指導してくれる驚異の本です。 とくに、かつてマスター自身も体験した、コース学習者が本道から逸れてしまいがちな誘惑や陥りがちな罠、自己欺瞞についても 非常にわかりやすく訂正してくれるため、まっすぐ進むためには、これ以上なく助かるでしょう。 コース関連本はたくさんあれど、唯一正確にコースの思想を伝えています。 続編の「不死というあなたの現実」も大変感動的です。 |
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スターピープル Vol.22
[ 情報を見る ] 「奇跡のコース」誕生の経歴、関わった人々、現在 コース関係で活躍している人の情報など、コースの背景をよりいっそう深く知りたいときに役立つ本(ムック)です。 ヘレン・シュチュクマンやビル・セッドフォードのことはもちろん、ケネス・ワープニックやゲイリー・レナード、マリアン・ウィリアムソン、 果てはニール・ウォルシュのインタビューまで載っていて、好事家にはたまらない魅力のつまった一冊です。 |
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愛への帰還
[ 情報を見る ] 上記「神の使者」が日本語化されるまでは 「奇跡のコース」を日本で紹介してくれる唯一の本でした。 内容的には、著者の主観でかなりコース本道からそれており、おすすめはいたしかねます。 しかし、非常にシンプルで、また著者の体験談により内容がわかりやすいため、コース入門用としては良書といえると思います。 |
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聖なる愛を求めて
[ 情報を見る ] 上記「愛への帰還」と類似点の多い本です。 「奇跡のコース」の内容を 男女の愛情関係にあてはめて活用する方向で進めており、正確なコースの思想を求める人には適切とは言いがたい本です。 しかし、「愛への帰還」同様に、コース入門用としては良いかと思われます。 |
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ゆるすということ
[ 情報を見る ] 「奇跡のコース」の最大のテーマ「ゆるし」に焦点を当てた コース学習者でも充分満足できる内容です。 コースからの引用も多々あり、コース未学習者にもやさしい本です。 しかし、いかんせんページ数が少なく、密度的には満足はできないかもしれません。 あと、コースで学ぶべき「ゆるし」とは、ほんの少し方向性がずれているような気もします。 これも、あえて言うなら「コース入門用」の本です。 |
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非関連本編(日本語のみ)非関連本編は、「奇跡のコース」について直接の言及はありませんが、コースと同じ 思想が学べる、非常に有用な本です。 じつは、こちらの方が上記「関連本編」よりも有用な本が多いです。 |
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無条件の愛 【オススメ!】
[ 情報を見る ] この本は正直、驚愕いたしました。 何がと申しますと、内容の密度、高度、わかりやすさ、すべてにおいて最高レベルのバランスが取れているからです。 それもそのはず、この本は人間の著者が書いたわけではなく、コースの「声」と同じ存在と著者が同調して書かれた いわば「チャネリング」本です。(著者は、ある誤解を避けるためにチャネリングとは呼ばれたくないようですが) コース本書、「神の使者」に次ぐ 非常にハイレベルな本であり、コース学習者ならぜひ読んでおくべき必携の書かと思われます。 |
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心身の神癒(入手困難)
[ 情報を見る ] ズバリ、現代版「山上の垂訓」です。 上記「無条件の愛」と同じく、コースの「声」がそのまま語った いわばチャネリング本です。 もともと本ではなく、講演の記録を文章化したものです。 非常にハイレベルで、密度も濃く、上級のコース学習者向けの本だと思います。 ただ、翻訳が少々前時代的なため、古い本独特の言い回しが大丈夫な方におすすめします。 |
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イェシュアの手紙
[ 情報を見る ] 著者が瞑想中にイェシュアから受け取ったメッセージを、著者の体験談と織り交ぜながら紹介しています。 イェシュアの語りは、翻訳の仕方なのかどうかはわかりませんが、まるでポエムのようなノリです(笑) とても良い本だとは思いますが、コース本書の学習者なら少々物足りなさを感じるかもしれません。 「悟りは心さえ変えれば瞬時だよ」とはいえ、その心が簡単には変えられないからこそ コースのような徹底したシステマチックな講座があるわけで、この本だけで事足りることは、まずないと思われます。 |
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ともしびワールドのアトラクション |
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ともしび茶屋 (BBS) もしあなたが「奇跡のコース」を学習なさっているなら、ともにコースを学び 実践するための ともしび茶屋 にも参加してみませんか? 閲覧のみは無条件です。投稿で参加するには、まず 冒険者登録 をしてくださいね♪ 詳しくは、私が投稿・参加できるアトラクションは? をごらんください。 お話を聞いてくださり、ありがとう♡
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無条件の愛―キリスト意識を鏡として (単行本) 話題度:
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